ジャンルとしての「レズビアン」と「百合」ってどう違う? 男女入れ替わりコメディマンガ

マンガ

公開日:2016/6/24

『オレが腐女子でアイツが百合オタで』(アジイチ/KADOKAWA)

今や人気ジャンルとして定着した「百合」。いわゆる女の子同士の恋愛、もしくは恋愛未満のような淡い関係を描くジャンルだ。

この「百合」というジャンルは意外と説明しづらい。ざっくりいえば同性愛ではあるのだが、いわゆる同性愛、レズビアンものとは区別されることが多い。「百合」という場合、もう少しプラトニックなニュアンスが強くなる。じゃあ、性愛が描かれればレズビアンものに区分されるかといえば、性愛に触れても「百合」と呼ばれる作品もある。人によって定義が違う部分もあるだろうし、その概念は比較的ゆるやかな部分があるが、一方で確かに共有されてもいる。

マンガ『オレが腐女子でアイツが百合オタで』(アジイチ/KADOKAWA)は、そんな「百合」とは何だろう?という疑問にひとつのヒントを与えてくれた。

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この作品自体は百合作品ではない。百合ファンの男子が、腐女子の同級生と体が入れ替わってしまうというコメディだ。隠れオタクだった主人公の吉田怜時と、オープンオタクだった保科美鶴の対比など、オタクあるある的な要素を楽しめる作品になっている。

一方で、百合好きの男子(百合男子)が女の子と入れ替わるというのは、特別な意味がある。自分自身が百合の主体になれるという可能性が生まれるのだ。

百合好き男子の心情や苦悩を描いた『百合男子』(倉田嘘/一迅社)では、「我思う、故に百合あり。だが、そこに我、必要なし」と書かれた。女の子同士の関係を愛するがゆえに、自分が邪魔な存在になってしまうという苦悩だ。

『オレが腐女子でアイツが百合オタで』は、ある意味では「ならば自分自身が女の子になったら」というifだ。1巻に収録されている第4話では、百合男子である吉田が同級生・保科に入れ替わった状態で女の子に告白されるという展開が描かれる。男であることが百合好きであることにとって苦悩の種であるとしたら、これはひとつの理想の形に思える。

だが、一瞬迷った吉田は結局それを否定する。

「中身が男(オレ)の時点で!! 百合なんて成立せんのじゃ!!」

身も蓋もない結論だが、これは百合というジャンルのひとつの本質を突いている。女性の体で女性を愛したいのであれば、性転換といった選択肢もある。だが、百合を百合として愛でるというのは、たぶんそういうことではないのだ。

おそらく、百合の大きな魅力のひとつは、主体として共感する物語ではないことなのだと思う。自分ではない、神聖なものに触れたいいう欲求を満たしてくれるのが百合というジャンルが人を惹きつけるひとつの魅力なのだ。ゆえに、神聖ではない自分がそのなかに踏み込むことを、吉田は拒絶する。

気軽にコメディとして楽しめるのはもちろんだが、「百合とは一体何だろう」の入門や、ファンが改めてジャンルについて考えるきっかけにもなる振れ幅の広い1作だ。

文=小林聖

 


『オレが腐女子でアイツが百合オタで』1巻
アジイチ KADOKAWA
百合作品をこよなく愛するオタク高校生・吉田(よしだ)と、腐女子の美少女・保科(ほしな)。漫研に出没する幽霊・漫子さんの呪いによって、ふたりの身体が入れ替わってしまい!?

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