渋カジが、わたしを作った。――ストリート・ファッションの歴史と変遷

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公開日:2017/3/12

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    『渋カジが、わたしを作った。団塊ジュニア&渋谷発 ストリート・ファッションの歴史と変遷』(増田海治郎/講談社)

 “渋カジ”誕生の経緯やスタイルを紹介した『渋カジが、わたしを作った。団塊ジュニア&渋谷発 ストリート・ファッションの歴史と変遷』が2017年3月8日(水)に発売された。

 1985年、当時主流だったDCブランドに対するカウンターカルチャーとして、アメカジに身を包んだ若者集団“チーム”が渋谷にこつ然と現れ、渋谷センター街を拠点とした彼らのファッションは口コミで東京都内の高校生に広がり、やがて“渋カジ”と呼ばれるようになった。同書は、1985年のアメカジから、1988年から1989年の渋カジ、1990年から1991年のキレカジ、ハードアメカジ、1991年から1992年のデルカジまでの7年間のストリート・ファッションの変化を“渋カジ”と総称し、その誕生の経緯や細かいスタイルの変化を紹介している。

 渋カジは、1967年から1977年生まれのおよそ10年の世代が経験した大規模な流行で、主な担い手は1971年から1974年生まれの団塊ジュニア世代。男女共通の流行としてまるで“学外の制服”のように、世代全体で楽しんだのだ。同書は、日本のファッション史の貴重な記録であり、この世代の青春時代の“回顧録”でもある。

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 また、渋カジのカリスマショップだったラブラドールリトリーバーの中曽根信一、ジョンズクロージングの河原拓也、渋カジのミューズだった女優の田中律子ら、15人の渋カジ関係者のインタビューも掲載。「リーバイス」のヴィンテージGジャンの“セカンド”という呼び名や、ハードアメカジの制服的存在だったレザージャケット「バンソン」のTJPが生まれた経緯など、初めて明らかになる歴史的な事実も満載だ。

 「団塊ジュニア世代は“不遇の世代”ではなく“七転び八起き世代”である」というメッセージを込めた、シンプルで力強いあとがきも必読。流行が繰り返される昨今だからこそ、“渋カジ”の魅力について新たに知識を取り入れてみてはいかがだろうか。

増田海治郎
ファッションジャーナリスト。1972年埼玉県出身。神奈川大学卒業後、出版社、繊維業界紙などを経て、2013年にフリーランスのファッションジャーナリストとして独立。年2回の海外メンズコレクション、東京コレクションの取材を欠かさず行っており、年間のファッションショーの取材本数は約250本。メンズとウィメンズの両方が取材対象で、モード、クラシコ・イタリア、ストリート、アメカジ、古着までをカバーする守備範囲の広さは業界でも随一。仕事でもプライベートでも洋服に囲まれた毎日を送っている。

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