松任谷由実と頭山満を結ぶ“点と線”が織りなす近現代史

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公開日:2017/4/29

『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』(延江浩/講談社)

 不思議な本である。

愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』(延江浩/講談社)は、様々な歴史の断片が(そもそも歴史というのは断片の積み重ねであるが)時代を行ったり来たりしながら、歴史の表舞台で活躍した著名人や芸能人、知る人ぞ知る有名人から市井の人々までが登場し、ふと出会い、結びつき、ほぐれ、また別の人と結びつくという構成であり、明治、大正、昭和、平成を行きつ戻りつし、人の関わり合いを渡り歩くうちに、学校の授業や教科書で学んだ一直線に時間が過ぎていくような近現代史に対して、認識を新たにすることとなるのだ。

 タイトルにある「愛国」は、大正から昭和にかけて活躍した国家主義者の頭山満にかかり、「ノーサイド」は稀代のミュージシャン松任谷由実にかかっている。なぜこの2人が結びつくのか? 実はこの2人は親戚なのである。松任谷由実の夫でミュージシャンの松任谷正隆の伯父の妻・尋子が頭山満の孫娘なのだ。

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 松任谷由実はさておき、頭山満については説明が必要だろう。

 頭山満は1855年(安政2年)福岡に生まれた。1876年(明治9年)に萩の乱に参加して入獄、この後自由民権運動に参加。自由民権運動の結社として作られた向陽社を玄洋社と改め、国家主義に転じて大アジア主義を提唱。右翼運動の中心的人物であり、戦前の日本では大きな注目を集めた大人物であったが、1944年(昭和19年)に亡くなっている。

 戦後、頭山満の名はメディアから消えていく。GHQによって玄洋社が「最も危険な影響力のある国家主義団体」として解散させられたからだ。頭山満がアジア諸国の独立運動家を支援し、太平洋戦争を回避しようと日中和平の道を模索していた(軍部の暴走で事態が悪化、戦争へ突入した)ことはあまり知られていないだろう。頭山満はどんな人物であったのかについては本書に詳しいが、国家間の緊張が高まる混沌とした今だからこそ、再考されるべき人物であると感じた。

 また数多くの人物が登場することも本書の特筆すべき点だ。伊藤博文、大隈重信、福沢諭吉、板垣退助、西郷隆盛、犬養毅、浜口雄幸、広田弘毅、吉田茂、岸信介、池田勇人、東条英機、中江兆民、蒋介石、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、孫文、川端康成、三島由紀夫、石原慎太郎、石原裕次郎、美輪明宏、向田邦子、水森亜土、細野晴臣、松本隆、そして昭和の文化人、芸能人、ミュージシャンらが集まった伝説的な麻布のレストラン「キャンティ」に連なる人脈と、頭山家、松任谷家の人々が登場し、政治史、文化史、音楽史、そして一族の歴史などが次々と立ち現れ、展開していく。

 著者の延江氏は膨大な参考文献や資料、テレビやラジオ放送などに当たっている。さらに松任谷由実を始めとして多くの人へインタビューを行い、丹念にエピソードを拾っている。集められた断片は丁寧に結びつけられ、近代から現代の歴史にまるで現場で目撃したかような小説的描写が加えられ、新たな物語として編み直されている。頭山満と松任谷由実が親戚であることは近現代史を解き明かす装置として機能し、この関係を中心とした様々な断片が新たな視点ではめ込まれて、大きな歴史として立ち上がってくる。

 近現代史はそれ以前の歴史に比べてアンタッチャブルな雰囲気があり、新たな意見や発見、見解を歓迎しない狭量さがあるように思える。しかし来年2018年は明治時代が始まった1868年からちょうど150年の節目だ。今こそ歴史の出来事を丹念に洗い出し、懐古趣味を排除して、埃をかぶった古い見解の棚卸しが求められているのではないか。頭山家と松任谷家を巡る歴史に触れ、そんな思いを抱いた。

 結婚する尋子の新居にと頭山満が用意したという神宮外苑の一角。そこに建つビルの地下にあった、尋子が主宰する会員制クラブ「易俗化(エキゾチカ)」を、桜の舞い散る季節に訪ねてみた。しかし時代の最先端の人々が集まっていた往時の面影はなく、道を挟んだ反対側では、新しい国立競技場の建設が進んでいた。時代は巡っているのだ。

文=成田全(ナリタタモツ)