「歌舞伎町では上から人が落ちてくる」欲望を満たす”夜の街”のダーク・サイドに切り込むノンフィクション【書評】

社会

公開日:2023/7/21

歌舞伎町アンダーグラウンド
歌舞伎町アンダーグラウンド』(本橋信宏/駒草出版)

 「夜の歌舞伎町では、上から人が落ちてくるから、気を付けて歩かないと危ない」――これは歌舞伎町に通う人なら、一度は聞いたことがあるはずの警告だ。実際、2018年には、女性がビルの上から落ちてきて、歩行者の男性を直撃するという事件が勃発。男性は一命はとりとめたものの、重症を負った。大泉りか氏『ホス狂い』(鉄人社)など、歌舞伎町に迫ったルポルタージュを読むと、ホストクラブに通い詰めた女性が、借金を苦に投身するケースも多いそうだ。

 本橋信宏『歌舞伎町アンダーグラウンド』(駒草出版)は、こうした諍いやトラブルの絶えない歌舞伎町の実態を、簡潔かつ鋭い筆致で炙り出した労作である。執筆のきっかけとなったのは、2001年9月に歌舞伎町のビルで起こり、44人もの死者を出した火災だったという。この火災を追ううちに、名うてのノンフィクション・ライターである本橋氏は、改めて歌舞伎町の過去と現在を調査/取材することになる。あらゆる欲望や夢や好奇心を満たしてくれる不夜城・歌舞伎町には、どのような魅力や魔力が宿っているのか――。読む側もおのずと息を呑む。

 初めは、フィクションの漫画か小説でも読んでいるような気分だった。なんせ、本書に登場するのは、腕利きで知られた元ぼったくりの帝王、暴力団同士の抗争中に暗躍するヒットマン、若者のアウトロー集団が徒党を組む半グレ、賭け麻雀では無敵を誇る無頼派イカサマ師、縄張りを仕切る街の顔役的ヤクザ、大量の金銭が飛び交うホストクラブのナンバーワン等々。彼らの証言を交えつつ、同町で起こった悲劇や惨劇が生々しく活写されている。

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 石原慎太郎元東京都知事の浄化政策により、東洋一の賑わいを見せるこの歓楽街は、いったん落ち着きを取り戻したかに見えた。だが、ドラッグや賭け事に没入し、膨大な額を溶かしてしまう者はあとを絶たないし、痴情のもつれなどによる殺傷沙汰は日常茶飯事。昨今では、コロナ禍で家に居場所がなく、TOHOシネマズ新宿の辺りに集う若者=トー横キッズに注目が集まっている。また、同町の公園には10代と思しき女性たちが、売春目的で「たちんぼ」をしており、そのうしろには男たちの行列ができているという。

 歌舞伎町に馴染みのない人が彼の地に足を踏みこむのは、かなりの勇気がいるだろう。事実、恐喝や喧嘩や集団リンチが日常的に起こる街でもあるという。そんな町について本橋氏が真正面から肉迫できたのは、歌舞伎町のコワモテを相手にしても怖じることなく、話を引き出したからだ。早稲田大学政治経済学部卒の本橋氏は、シャープな顔立ちで鋭い眼光を放つ。そのカタギとは思えない顔と佇まいのおかげで、ヤクザを前にしても対等に話せたのだと思う。正に、この著者ありてのこの本である。

 なお、ド派手で活気があり華やかな街というイメージもある歌舞伎町だが、著者が俎上に載せたのは、その多くが街の裏側で跋扈してきた闇の住人たち。筆者が(そして、おそらく読者の多くが)知りたくても知り得なかった歌舞伎町のダーク・サイドが記述されている。目を覆いたくなる事件も仔細に記述されているが、これが現実なのかと溜息が漏れる。もちろん、本書に載せられないような、もっときわどいエピソードも多くあったそうだ。

 一方、ちょっと心が休まる話も差し挟まれる。漫才コンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎氏は新宿生まれ、新宿育ち。アルバイト先のラーメン屋では歌舞伎町の店にも出前に訪れた。ホストクラブ、ポーカーゲーム屋、ストリップ、ホテトル待機所、ラブホテル、組事務所、防犯カメラが3つある雀荘などでの、今だから言える体験談が興味を惹く。

 内容が内容だけに、歌舞伎町についてネガティヴなイメージを持つ読者も多いはず。だが、玉袋氏がそうだったように、そこを安住の地と感じている者も少なからず存在する。そして、歌舞伎町はこの町でしか生きられないはみ出し者を受け入れる、包容力に満ちた場所なのではないか。読後、そんなことを考えた。

文=土佐有明

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