『無理ゲー社会』に続く橘玲氏の最新作。「自分らしく」生きる社会の推進が、逆に格差を広げ、他人を引きずり下ろす「地獄」になっていくワケ

社会

更新日:2023/8/18

世界はなぜ地獄になるのか
世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲/小学館)

 自分らしく生きられる社会は素晴らしい。人種や性別、性的指向などに囚われず、誰もが自分の望むような生き方ができて、それをすべて受け入れてくれる社会はどれほど素晴らしいか――

 しかし、自分らしく生きられるリベラルな社会の実現が、かえって「不自由」な社会、もっと言ってしまえば「地獄」を作り出しているとしたら……?

 これまで遺伝や社会問題、性別、幸せ、お金、モテなどについて世のタブーをえぐり、わかりやすく解説してきた橘玲氏は新著『世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲/小学館)の「はじめに」の章で、自分らしく生きる社会について、4つの問題を指摘している。

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①格差の拡大――社会が豊かで公平になればなるほど、環境による影響よりも遺伝による影響が強まり、遺伝的に優位な人と優位でない人との差が広がってしまう。

②社会が複雑になる――個人が自分らしさを求める結果、ひとりひとりが固有の利害を持つようになり、従来の仕組みでは対応できなくなる。

③孤独になる――共同体による拘束から解放され、個人は自由になるため、出会いは刹那的になって長期の関係を作るのが難しくなる。婚姻率や出生率の低下がそれを裏付けている。

④アイデンティティが衝突する――自分らしさを受け入れさせようとする運動が起こり、衝突や軋轢が発生する。本書では、特にこの4つめの問題が軸として語られている。自分らしく生きるための「社会正義」の運動が、他の異なる考え方をする個人を攻撃し、社会的地位から引きずり下ろそうとする方向に働いている。皆が、誰かを引きずり下ろすタイミングを息を潜めて待っている。他人を地に落とす行為は、快楽だからだ。

 その結果、「自分らしく」生きやすい社会を目指すはずが、結果的に「不自由」な社会になってしまっているのだ。

キャンセルカルチャーの標的になった人々

 公職など社会的に重要な役職に就く者に対して、その言動が倫理・道徳に反していることを理由に辞職を求める運動のことを一般的に「キャンセルカルチャー」と呼ぶ。

 特に、東京五輪の開会式の楽曲担当だった小山田圭吾氏をめぐる一連の混乱で、一般の日本人にもこの風潮が浸透したとされている。本書では、キャンセルカルチャーの標的になった人々――東京五輪の小山田圭吾氏に始まり、現代芸術家の会田誠氏、果ては「ハリー・ポッター」シリーズの著者J・K・ローリング氏に至る――について、事例ごとにかなり深いところまで潜って説明してくれている。

 キャンセルカルチャーが発達してしまうのは、人間の本能的な感情のメカニズムが関係しているらしい。

「正義の名のもとに誰かを叩く」というエンタテインメントの快楽

“わたしたちは、自分よりもステイタスの高い者と比べるときに痛みを、ステイタスの低い者と比べるときに快感を覚える。”

 本書では、上のような感情のメカニズムは脳に埋め込まれた基本設計であり、心がけや道徳教育で変わることのないものだと記している。そして、ステイタスの高低についての判断は実に0.43秒のうちに行われてしまうのだとか。それは、2人の人間が写る写真からでも判断できるし、両者の声やボディランゲージからも無意識的に判断してしまうらしい。ステイタスの低いものが、ステイタスの高いものに声質を合わせるようになるという話も非常に面白い。

 さらに、ステイタスの低い者は、自分よりも高いステイタスの人間と比較することによって自己肯定感を下げられて、その結果、実際の健康寿命にまで悪い影響を受けてしまうというから大変だ。

 であれば、ステイタスの低い者は、その事実を受け止め、毎度自分よりもステイタスの高い者に会うたびに痛みを覚えながら不健康になり、指をくわえながら早死にしていくしかないのだろうか?

 一つの解決策が、自分のアイデンティティにすがることである。たとえば白人至上主義は、自分の肌が白いことがアイデンティティであり、また日本人であるということにアイデンティティを見出しすがりつく者もいる。WBCで日本が優勝した時に少なからず誇りを覚えたはずだが、自分の属する集団や組織のステイタスが上がることで、自己肯定感を高めることができるのだ。

 さらに最も簡単で効果的な戦略が本書に提示されている。それが「不道徳なものを探し出し、正義を振りかざして叩くことで、自分の道徳的地位を相対的に引き上げる」というものだ。これはSNSの発達によって、さらに匿名かつローコストで実施することができるようになった。社会的地位も、経済的地位も関係なく、誰でも参加できる「正義というエンタテインメント」を楽しむことができるのだ。

 いったい誰がこの欲望から逃れられるだろうか。

 こうして、重要な社会的地位を手に入れたステイタスの高い人を見ては、何かしら粗がないか、穴がないかと探し回り、格好の汚点を見つければ晒し上げ、自分と同じような信条を持つステイタスの低い者たちといっしょに叩きまくる、という所業に出る。

 自分らしさを重んじた自由な社会の実現が、かえって人々のステイタスの格差を浮き彫りにし、アイデンティティの乱立が、衝突をそこかしこで発生させている。人々はわざわざ相手の不道徳を見出して叩くことをやめられず、地位のある人間はほんの小さなことで引きずり下ろされてしまう。「地獄」と呼ぶにふさわしい、このますます生きにくくなっている社会を、あなたはどう生き抜いていくだろうか?

文=奥井雄義

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