学校の話し合いは声の大きいやつが有利? 「論破」や「いじめ」「友人関係」など学校生活をうまく生きのびるための「政治学」とは

社会

公開日:2023/8/23

教室を生きのびる政治学 (犀の教室 Liberal Arts Lab)
教室を生きのびる政治学 (犀の教室 Liberal Arts Lab)』(岡田憲治/晶文社)

 多くの生徒や学生にとって、政治はどこか胡散臭く、ネガティブイメージなものかもしれない。それどころか、興味や関心すらないかもしれない。なぜなら、おそらく彼らは目の前の“学校”というサバイバルなステージを生き抜くのに必死であり、政治に目を向けているひまがないからだ。

 ところが、『教室を生きのびる政治学 (犀の教室 Liberal Arts Lab)』(岡田憲治/晶文社)は、生徒や学生にとって一見遠くに感じる「政治」を、政治学の観点から身近に感じさせてくれる。本書は、あくまで子どもや若者に寄り添い、非常に軽妙な語り口で政治学の意義を説く。

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「日常の生活空間(とくに教室内)で頭を抱えながらうずくまるのではなく、少しでも心穏やかに、安心して過ごすために、なにより政治学が役に立つ、ということを伝えたいのだ。」

「卒業して進学したり就職したりするまで、なんとか教室を生きのびて、学校生活をサバイブしてほしいからだ。」

 このような狙いと願いを掲げ、本書は学校生活のモヤモヤと政治の関連性を数々の例を挙げつつ説明してくれる。

 例えば、学校では文化祭の出し物や体育祭の競技など様々なシーンで、グループ単位あるいは学級、学年単位で話し合い、内容やルールを決めることがある。本書によると、これこそ政治学でいうところの「民主政治(デモクラシー)」であり、「人は自分の生活や人生に直接・間接に影響を与えるような決め事がなされる時には、それに対して直接・間接にひと声ものを申す権利を持っている」のだ。義務ではなく、権利であって、そこには責任が生じる。本書いわく、「グダグダで、クタクタで、ダメダメな結論(合意)だけど、これはこんなオレ・ワタシらが自分たちで決めたことだから、誰のせいにもできないんっすよ、ってこと」なのだ。だからこそ、話し合いには参加する必要がある。

 ところで、本書は「論破」に含まれているものについても言及している。学校内の話し合いでは、声が大きく、いわゆる論破力が高い人ほど有利であったり、重宝がられたりする一面があるかもしれない。しかし、本書は論破について、これを「説得するための話の内容やその揺るがない組み立て」ではなく、「人に説得をする際の話し方、空気や状況のつくり方」である、と述べている。つまり、論破とは「言い負かしたという印象を観ている人たちに与える」ことであり、これは言論の力ではない、と断言している。

 本書によると、言葉をやりとりする中で大切なのは、「自分は間違っているのかもしれない」という慎ましい姿勢と、自分の考えを変える可能性のある他者と言葉への敬意が必要。自分が正しいと思っていたことが「そうでもなかった」ということに直面するのはしんどいし辛いことかもしれないが、知的に豊かに大きくなる肥やしにもなる、と述べている。

それって、あなたの感想ですよね。

 この有名な言葉を本書のとおりに言い換えると、「僕は僕の言うことの根拠を再確認なんてする気はないですよ。だって僕がそう思うんだからそうなのであって、あなたはあなたで違うんだから、それはあなたのフィーリングでしょ? つまり感想なんだから、あなたの負けってことで、ほとんどの人がそう思ってるはずですよ」となる。

 これについて本書は、論破することにスッキリする気持ちよさに理解を示す一方、

「もし変わりうる自分という前提がないなら、何のためにあなたは人と議論をするのですか?」
「あなたは、他者との議論において本当は何を一番失いたくないのですか?」

 そして「臆病なやりとり」である、と辛辣だ。

 本書はこのほか、多数決と民主主義の関係、友人関係の切り分け方、平等の切り分け方、いじめや自己責任論のやり過ごし方など、学校生活をサバイブするうえで役に立つトピックがぎっしりと収められている。

 新学期を控えたこの時期。本書で新しいステージを生き抜く力を培ってみるといいかもしれない。

文=ルートつつみ(@root223

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