「日本一長く服役した男」が83歳で出所。生きがい・アイデンティティだった刑務作業を奪われた男は、実社会をどう生きるのか?

社会

更新日:2023/9/21

日本一長く服役した男
日本一長く服役した男』(NHK取材班 杉田宙矢・木村龍太/イースト・プレス)

 NHK取材班 杉田宙矢・木村龍太『日本一長く服役した男』(イースト・プレス)は、NHK総合で放送されたドキュメンタリー番組を下敷きにした書物だ。番組はタイトル通り、61年間を塀の中で過ごし、83歳で出所した男性(=A)の半生に迫っている。

 2021年、同番組は熊本県域で放送されると、番組名がX(元Twitter)のトレンド・ワードにも入った。そうした余波を受け、当時番組を見なかった人にも読んでもらえる構成を目指し、再編集されたのが本書である。

 Aは21歳の時に岡山県で強盗殺人事件を起こして逮捕され、その後、無期懲役の判決を受けて服役。刑務所内ではトラブルも起こさず、作業に打ち込む謹厳実直な姿が評価され、第一級の模範囚になったという。

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 それが契機となり、5度にわたって仮釈放の機会があったAだが、どうしても受け入れ先が見つからない。Aには家族はおらず、更生施設も無期懲役を受けた高齢者を迎えるのには消極的だ。そして、気付いたら83歳になっていた。

 その後、6度目の正直で保護施設に引き取られたA。だが、彼は塀の外の習慣にうまく適応することができず、苦しむことになる。刑務所内でルーティーンとなっていた作業をすべて奪われたような感覚なのだろう。Aは「作業がないと困る」「刑務所のように作業があった方がいい」と主張する。

 Aにとっては、刑務作業は生きがいであり、アイデンティティですらあった。そして、刑務所の中での時間が長すぎて、Aの時計はそこで止まっているのだ。あまりにも長い時間自由を奪われた状態でいると、逆に自由を不自由と感じる人がいる。これは珍しいことではないそうだ。

 以下は、Aの様子についての記述だ。更生施設の他の入所者に話しかけられても、黙ってうなずくだけ。施設の職員にサポートされて入浴するが、服を脱ぐタイミングや置く場所に迷う。耳が遠く、歯も抜けていて、口頭での会話が難しい。「仕事はないのか」とたびたび聞いてくる。

 こうしたケースは、『ショーシャンクの空に』『すばらしき世界』といった映画でも扱われている。『ショーシャンクの空に』では、50年服役した男性が仮釈放を受けるものの、外の生活への恐れから周囲に馴染めない。結局、男性は活路を見出せず、首を吊って自殺してしまう。『すばらしき世界』は元ヤクザの話だが、出所後に仕事も見つからず、生活保護の申請も渋られる。挙句の果てには心身の調子を大きく崩してしまう。

 Aへのインタビューで番組制作者が「被害者に申し訳ないと思ったことありますか?」と問うと、「よかことか、悪いことかいう判断が……ちょっと今もう、分からんね」と曖昧な回答でお茶を濁される。最後までAが反省しているのか、していないのか、番組制作者にも、視聴者にも腑に落ちるわけがない。

 そして、番組の制作中、あるデスクの発言が核心を突く。〈もし目の前の対象を自分の価値観や考え方に当てはめているだけならば、それは取材でなくただの材料集めになってしまうよ〉と。

 的を射た痛烈な批判だ。ディレクターらは、無期懲役でも更生は可能だという結論ありきで、それに見合う素材を編集/構築しかけていた。テレビ番組の編集の難しさを思い知らされるやりとりだ。また、尺の関係ですべてのインタビューを使うことは難しい。そうした中、制作者はAが仮出所後に暮らしていた施設の社長の発言をもってくる。自分を納得させるように真摯に言葉を紡ぐ彼の姿は、多くの視聴者/読者の胸を打ったことだろう。社長の言葉を一部引用する。

〈(Aは)幸せでなかったですよね。小さいときに両親なくして、施設で育って(中略)職業もない時代に生まれて。でも、そうした時代を生き抜いてきた方が日本を支えてきてくれたんですけど、(Aは)たまたまそこから外れたんでしょうね〉

 Aについての番組の放映をまたずに、Aは逝去した。身寄りのない彼には、遺骨を引きとる人すらいないため、死後、医療刑務所の霊安室に収められた。Aのような事例は決して特殊ではない。実際、霊安室には、おびただしい数の遺骨が並んでいるというのだから。Aのような例が今後も起きる可能性はある。本書はそんな時に社会が彼ら/彼女らをどう受けいれればいいか。そうした問いかけの端緒にもなる本である。

文=土佐有明

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