いじめ、進路…子供の悩みに、大人は正面から向き合うべし! 今こそ学びたい、コペル君と叔父さんの関係

暮らし

2017/10/10

『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎:原作、羽賀翔一:作画/マガジンハウス)

 よく知られる話として、毎年の9月1日には「未成年者の自殺」が増えるという。確かに9月期のニュースを見ていると、もちろんマスコミが意図的に取り上げたフシがなくはないにせよ、未成年者の自殺という記事をよく目にした印象がある。夏休みが終わり、二学期の始まりと共に学校へ行かなければならないというプレッシャーがその原因として考えられるというが、無論それだけではないだろう。要は、なぜ学校へ行くことにプレッシャーを感じるのか、なのだ。そこには「いじめ」を始めとして「学業問題」や「進路問題」など、さまざまな悩みが存在している。そこをこそ解決していかなければ、いずれは何かをきっかけに最悪の選択をしてしまう可能性があるのだ。『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎:原作、羽賀翔一:作画/マガジンハウス)は、編集者で児童文学者でもある吉野源三郎氏の名著を漫画化したもの。多くの少年少女たちが抱えるであろう悩みに向き合う姿が、「コペル君」という少年を通じて描かれる。

 主人公の本名は「本田潤一」だが、彼は「コペル君」と呼ばれる。それは彼の「叔父さん」が付けたあだ名で、由来は「地動説」を唱えた「コペルニクス」から。潤一少年が「人間は分子かもしれない」という考えに自ら至ったことを賞賛して付けたものだ。以後、コペル君と叔父さんはさまざまなことについて語り合う間柄となってゆく。

 人間が世界の大きな流れを作っている「分子」のようだと感じたコペル君は、さらに「粉ミルク」が自分の手元に来るまで、実に多くの人々が関わっていることに思い至る。それを「人間分子の関係、網目の法則」と名づけて叔父さんに報告。すると叔父さんは、それを経済学や社会学でいう「生産関係」だと教えた上で、自分でそこまで考えることができたコペル君を「敬服する」と称揚した。そしてその気持ちを忘れずに、将来、人類が進歩するために必要な「偉大な発見」を成し遂げてくれるよう奮起を促すのであった。

 こうして日々、成長していくコペル君であったが、ついに大きな壁に突き当たる。発端はクラスで「いじめ」に遭っている浦川君を「ガッチン」こと北見君が庇ったことだった。コペル君はガッチンを支持し、友人の水谷君や浦川君たちと交友を深めていく。そして「いじめ」の張本人である山口の兄たち上級生に、ガッチンが目を付けられたという話になったとき、コペル君は「みんなでガッチンを守ろう」と誓いあった。しかしある雪の日、ついに上級生たちとの衝突が現実のものとなったとき、コペル君は約束を守ることができなかった。ガッチンたちが上級生に殴られているのを、その場で名乗り出ることもできずに見ているだけだったのだ。騒動が終わり、傷ついた友人たちが去っていくのを、ただ見送るしかなかったコペル君。彼らを裏切ってしまった自身を責め、ついには熱を出して寝込んでしまうのだった。

 ガッチンたちに詫びることすらできず、学校を休み続けるコペル君。彼は事の顛末を、叔父さんに打ち明ける。叔父さんは「やってしまったことはいくら考えても変えられない」と厳しく接しつつ、考えるのをやめればよいと説く。そうすれば「いま自分がしなければならないことに、まっすぐむかっていける」からだ。叔父さんの言葉でコペル君は勇気を取り戻し、友人たちに自分の気持ちを伝えようとするのだった──。

 コペル君に対する叔父さんの言動は、現代感覚で見れば説教くさいかもしれない。しかしこういう大人たちが子供を導いてきたことは事実であり、かつてはこのような大人が周囲にたくさんいたのである。本書のタイトル『君たちはどう生きるか』──これは「生きる」ことを前提としている。子供は自らの力で考えて困難を打開することを、大人は迷える子供たちを正しく導くことを、それぞれ実践することができれば、「生きる」ことを放棄する結論には至るまいと思えるのだ。

文=木谷誠