「耳切り事件」128年目の真実とは?バーナデット・マーフィー著、山田美明訳『ゴッホの耳 ‐ 天才画家 最大の謎』

文芸・カルチャー

公開日:2017/11/11

『ゴッホの耳 ‐ 天才画家 最大の謎』(バーナデット・マーフィー:著、山田美明:訳 /早川書房)

 「自らの耳を切り落とした画家」としても知られ、《ひまわり》《星月夜》など、独特の色彩やタッチの作品を残した後期印象派の画家・ゴッホ。ゴッホはなぜ片耳を切り落としたのか。128年ぶりに発見された資料を通して、アルル時代のゴッホを浮かび上がらせた一冊が『ゴッホの耳 ‐ 天才画家 最大の謎』(バーナデット・マーフィー:著、山田美明:訳 /早川書房)である。バーナデット・マーフィー氏はイギリス生まれの作家。アルル時代のゴッホについて調査を重ね、デビュー作となる本書を執筆した。

 1888年2月19日、パリでの生活に幻滅を感じたゴッホは、南仏プロヴァンスの都市・アルルへ旅立った。画商である弟・テオによる経済的支援の下、画家たちとの共同生活を夢見て「黄色い家」を借りたが、実際に来てくれたのはパリで出会ったゴーギャンだけだった。しかし相容れない個性の確執、ゴッホの精神的疾患への不安などから、ゴーギャンは共同生活を解消しようとする。ゴッホは刃物を持って追いかけたが、結局、「黄色い家」に戻り自分の耳を切り落とす。

 切り落とした耳を、娼婦・ラシェルに渡しに行くという狂気的な行動をとるが、これはゴッホにとって、深い意味のある贈り物だったのだ。ゴーギャンが画家のエミール・ベルナールに放った言葉に、この謎の行為を解くヒントがある。精神疾患を抱える家系に生まれたゴッホは、感受性が強く、異常なほど共感能力が高い人間だった。そして牧師の息子であり牧師を志したこともあるゴッホの本質が浮かび上がる。

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 事件の後、5カ月にわたり入退院を繰り返しながらも制作を続け、1889年の5月までをアルルで過ごしたゴッホは、その後サン・レミに移り、カトリック精神療養院に入院した後、オーヴェールでの療養中、37歳のとき、拳銃で自殺する。

 ゴッホの作品は、精神疾患をプリズムとされがちだが、常に異常だったわけではない。精神疾患の治療がほとんどなかった19世紀、病と苦闘しながらも作品を創造し続けた精神力は、どれほどのものだろうか。本書の巻頭には、耳を切って数日後に描いた、包帯姿の2枚の自画像や、テオの息子の誕生祝いに描いた《花の咲くアーモンドの木の枝》などの傑作が掲載されている。

 本書の魅力は、耳切り事件の真相を含め、当時のアルルの生活や社会状況を背景に、ゴッホの人間性を描き出した点にある。精神の病を持ち、狂気的な行動をとるゴッホ。しかしアルルの自然を愛し、カフェや娼館に通い、郵便局員のルーラン夫妻やジヌー夫妻などと親しんだゴッホもまた真実の姿なのだ。本書を読んだあとに作品を鑑賞すると、絵に表れるゴッホの心の有様が、まざまざと感じられる。そんな一冊だ。

文=泉ゆりこ