後ろめたさは、前へ進む秘訣? 私たちは何を問題だと思って「いない」のか

ライフスタイル

2017/11/7

『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎/ミシマ社)

「秋まっさかり。木は紅色や黄色に色づき、程なくその葉は散り、冬が訪れる。窓を開けっ放しにして吹き込む風を楽しめるのは今年もあとわずか。どこかの窓辺から風鈴の音が聞こえる。この音を楽しめるのもあとわずかということか」というような文章があったとする。この文章を書いた人物は、きっと風鈴の音が良い音だと信じているはずだ。しかし、ひとつ見落としているのは、風鈴の音をうるさいと思う人も、世の中にいるということである。

 私たちが普通だと思っていることは、意外と脆い。『うしろめたさの人類学』(松村圭一郎/ミシマ社)では、エチオピアの農村や中東でフィールドワークを重ねた著者によって、私たちの常識というものがどう構築されていくのかが語られる。例えば、著者は私たちが常日頃使う言葉の端々に目を向ける。

ある言葉や概念が、ぼくらがずっとそこにあると信じて疑わない「現実」さえもつくりだす。「児童虐待」や「ストーカー」だって、昔はなかった概念が生まれたことで、はじめて社会問題として構築されてきた。

 私は一度アメリカを訪れた時、言葉に人の常識が表れることを実感した経験がある。日本人が外国人と知り合ったら、だいたいWhat’s your name?とまずは聞き、その次ぐらいにはWhere are you from?あるいはWhich country are you from?と聞くということに関しては賛同頂けるはずだ。しかし、アメリカでは、一向にどこの国から来たかという質問を聞かれなく不思議に思った。話を進めていくと「なんだ、日本から旅行に来ていたのか。君はまあまあ英語が話せるからこっちに住んでいる人なのかと僕は思って話していたよ」と言われた。

 この出来事は何を示しているのか。アメリカには移民が多くいて、○○系アメリカ人という人々がいる。日本にはいわゆる「外国人」という考え方があり、移民はさほど一般的ではなく、外見や言葉で外から来ている人を判別しているのだと、私はその一言で気付いた。

 先日は選挙があり、何が現代社会において問題なのかが候補者たちによって声高に語られた。この「問題」という言葉もややこしい。国内で起こっていることと、例えばロヒンギャ(ミャンマーに住むイスラム系少数民族)迫害という日本人に馴染みのないことが同じ「問題」という言葉で括られてしまう。

 私たちは何を問題視していないのか。本書のテーマである「うしろめたさ」はその点を読者に問いかける。何を問題だと思うかと同等に、自分が何を問題と思っていないかということも重要なのではないか。エチオピアで物乞いにお金をせびられてどうすればいいのか分からなくなったという若い頃の体験から、著者はこのような言葉で「うしろめたさ」の特質を語る。

倫理性は「うしろめたさ」を介して感染していく。目を背けていた現実への認識を揺さぶられることで、心と身体に刻まれている公平さへの希求が、いろんな場所で次つぎと起動しはじめる。

 便利さや経済が発展しきって、価値観が極度に多様化している日本社会。つながりを取り戻し共に前に進むために、自分が問題視してこなかったことへ目を向けさせてくれる一冊だ。

文=神保慶政