初めて「バナナの皮」で滑ったのは誰?「バナナの皮」ギャグはいつ生み出されたの?

エンタメ

2018/2/9

『バナナの皮はなぜすべるのか?』(黒木夏美/筑摩書房)

 2014年、バナナの皮の摩擦係数を計算し「床より6倍滑りやすい」ことを証明した北里大の馬渕清資教授らに、「イグ・ノーベル賞」の物理学賞が授与された。同賞は「人々を笑わせ、考えさせてくれる」研究に贈られるものだが、バナナがらみの研究での受賞はこれが初めてだった。

 一方、2018年1月にちくま文庫から刊行された『バナナの皮はなぜすべるのか?』(筑摩書房)は、2010年に水声社より発刊されたものの改訂版だ。馬渕教授のチームが華々しい(?)賞で注目される以前から、バナナの皮のすべりやすさについて研究していた人がいたとは! と思い手に取って、ずるっと拍子抜けした。というのも、この本の中は「バナナの皮がすべる理由」には、ほとんど言及していないからだ。

 同書は映画やマンガ、文学などに登場する「バナナの皮」が、いつ・どこで・どんな人を・どのようにすべらせ、そして周囲がどんな反応を示したかを細密に拾い集めている。著者の黒木夏美さんは序章で「文学や映画などの作品中、バナナの皮で滑った俳優の元祖はチャップリンで、それは1923年の『偽牧師』と言われているが、1915年の『アルコール先生海水浴の巻』である」という言説に触れ、チャップリンと同世代の喜劇俳優のことをあまり知らず、フィルムが残っているかどうかもわからないことから、

チャップリンが元祖かどうかはっきりしない以上、チャップリン以前の映画や漫画からバナナの皮ギャグを見つけ出す必要がある。

 と、バナナの皮で転んだ初めての者を探すために、ネットの海を漂う決意をする。そしておそらくバナナの皮ですべった元祖を探すうちに、とんでもない量の「バナナの皮すべりギャグ」にぶちあたったのだろう。話はどんどんそれを拾う方向に拡張する。マンガひとつとっても藤子・F・不二雄の『ドラえもん』や赤塚不二夫の『おそ松くん』など、バナナの皮がいかにも登場しそうな古典的名作は言うに及ばず、栃木を舞台にした90年代の少女マンガ『× ペケ』(新井理恵/小学館)までを網羅する博覧強記ぶりだ。しかし黒木さんはあとがきでなんと、

今思えば、バナナの皮ギャグについて調べようと決心したときの私は、何とも無謀な一歩を踏み出していたのだと思う。もともと映画も漫画もそれほど見ないものだから、スタートラインでの知識はないに等しく、しかも田舎住まいなのものだから資料が手に入りにくい。

 と告白している。つまり親しんできたマンガや映画にバナナの皮ギャグが頻出することが気になっていたのではなく、調べようと思ったことで、あれやこれやの作品と出会うことになったのだ。

 プロフィールによると黒木さんはライターや研究者ではなく、図書館に勤務しているそうだ。いわば「調べもののプロ」ではない彼女が、本をまとめ上げるほどに入れ込んだバナナの皮(ですべる行為)には、どれだけの魔力があるというのか。ジワジワと恐ろしささえこみあげてくる。さらに「なぜバナナの皮ですべって転んだ者を他者は笑うのか」ということから、ギャグとはいったい何なのかについてまで、思いをはせている。

バナナの皮ギャグは、笑った後に何も残らないシンプルなギャグであると同時に、生きている限り抱え続けなければならない人間の根源的な不安に根ざしたギャグでもある。シンプルだからこそ素直に笑うことができ、暗き深淵に通じているからこそ笑い飛ばす価値がある。他のギャグにはない重みと味わいが備わった、一筋縄ではいかないギャグなのである。

 そ、そんな深いものだったとは……! と同時に、「トーストくわえて遅刻遅刻」や「蕎麦屋の出前は大抵転んで蕎麦まみれ(デリソバというらしい)」などのマンガによくあるギャグを取り上げ、これらの「お約束感」と、「お約束」の真の価値や条件などについて考察している。さらにそこでは収まりきらず、バナナの皮のポイ捨ては戦前からおこなわれており、時事新報(1882年に福沢諭吉により創刊され、1936年に廃刊した新聞)や読売新聞、神戸又新日報(1884~1939年)などでも、その公徳心のなさが嘆かれていることも紹介している。「あの頃の日本は美しかった」どころか酷いマナー違反が横行していたことまでを、バナナの皮は暴き出すのだ。

 最初にすべった俳優がチャップリンかどうかは、ぜひ本で答え合わせをしてほしいので、ここには記さない。

 調べるという行為の楽しさと、「バナナの皮ですべる。それって寒いギャグ」的な、誰もが知っているお約束を、お約束としてスルーしない姿勢があったからこそ生まれた良書と言えるだろう。バナナの皮にとどまることなく、黒木さんには今後も「そういえばなんであれってこう言われてるの?」というものの源泉を探しに、ぜひ旅立っていただきたいと一読者として強く思う。

文=今井順梨