トレンドから糞まで…日本の「ヘン」を武田砂鉄が言語化! 忖度社会の危険な「気配」とは?

小説・エッセイ

2018/5/13

『日本の気配』(武田砂鉄/晶文社)

 こちらは波風が立たないように平和に暮らそうとしている。シャンシャンと仕事を終わらせて、一杯引っ掛けようかと思っていたところに、細かい指摘をしてくる同僚が現れる。こんなとき、「面倒くせーなあ。そんなのどっちでもいいじゃねえか」と思うことはないだろうか。

 ライター・武田砂鉄による著書『日本の気配』(晶文社)は政治家から芸能人、そして糞に至るまで、あらゆる発言や事象をとりあげて、余すことなく違和感にツッコミを入れる毒舌コラムである。

“毒舌コラム”という名詞でさえも、武田から「雑な命名だ」と言われてしまいそうな気配を感じる。なにしろ、まえがきにタイトルに使われている“気配”を辞書で引くという件があるのだが、そんな箇所でさえも

まったくベタな手口で恥ずかしいけれど

 と自身にツッコミを入れているのだ。単語一つ、文脈一つも見逃さず、手厳しいのである。きっと面倒くさい人なのだろう。そんな武田はこんなことも言っている。

面倒臭いけれど「面倒くさい俺」がのさばる方が面倒くさい。

 本当は面倒なことがさらに面倒くさくなる前になにかしらの対策をせねばならない。しかし、それ以上に政治家が国民に、芸能界が視聴者に、会社が従業員に、いわゆる強者が弱者に対して、「面倒くさい」と思わせようとしている気配を感じることはないだろうか。

この数年で日本人はベタな談合をすっかり許すようになってしまった。まぁ、そういうこともあるでしょう、と寛容になっている。なぜ寛容になるのだろうか。なに許しちゃってんだろう、と思うのだが、なに怒っちゃってんのと返してくる。

憤怒がないからこそ、この日本は空気や気配などという主体なきものにハンドルを握られてしまうのだ。

 話が飛んで申し訳ないのだが、太平洋戦争初期には、戦争に賛成する日本人が多かったという。金融恐慌で不景気になったなか、日本国内では軍部が「大陸に進出すれば、不景気から脱出できる」と国民を空気で説き伏せたのだ。

 平和な生活を送るためには、ときに怒らなければならない。同書では怒らなければならない箇所を高感度のアンテナで見つけ出し、ほつれそうになりながらも針の穴を通すような指摘をする。その容赦のない指摘は読者にある種の心地よささえ感じさせる。

文=梶原だもの