「やばい」を多用しているヤバイ人必見!! 文豪の「人の心を惹きつける」言葉

ライフスタイル

2018/5/15

『文豪の凄い語彙力』(山口謠司/さくら舎)

 聖書の日本語訳には口語体のものと文語体のものとがあり、個人的には文語体のほうが好みだ。例えば、新約聖書の『ローマ人への手紙』第十二章18節は、日本聖書協会の口語訳だと「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」だが、同協会の文語訳では「汝らの為(な)し得(う)るかぎり力(つと)めて凡(すべ)ての人と相和(あいやわ)らげ。」となっている。「平和」だと争いのない穏やかな「状態」を指しているように感じられるのが、「相和らげ」となると自主的な「行為」を想起させられる。なによりも、普段使わない言い回しのほうが印象に残るというものだ。日頃、私の文章は人の心を惹きつけるには貧弱だと悩んでもいたので入手したのが『文豪の凄い語彙力』(山口謠司/さくら舎)である。

 本書は、「はじめに」から魅力的な言葉を教えてくれた。その一つが「善魔(ぜんま)」だ。「今日、私たちは自分たちのまわりに悪魔よりも善魔をたくさんみるようである。」(「善魔について」『遠藤周作文学全集』第十三巻)と引用されている。一般的な言葉なら、「独善」が近いだろうか。自身がクリスチャンでもあり、キリスト教文学に一石を投じることとなった『沈黙』を執筆した遠藤周作らしい造語だと思う。

 ドフトエフスキーの『罪と罰』を翻訳した内田魯庵の『二葉亭四迷の一生』からは、「厚誼(こうぎ)」が取り上げられており、著者によると「誼」の旁(つくり)は「神様に捧げるために肉を何枚も分厚く重ねている」のだそうだ。感謝の言葉として「平素よりご厚誼を賜り」といった具合に使うことがあるが、つまりはそれほど手厚く親切にしてもらったという意味が込められているのである。

「的皪(てきれき)」という聞き慣れない言葉は、芥川龍之介の『或日の大石内蔵之助』において「的皪たる花をつけたのを眺めていた。」と使われ、皪は「光」を意味し、「一部分を取り出してスポットを当てる」ことをあらわしている「的」との組み合わせで、「白く鮮明なさま、光り輝くさま」となる。

 さらに、古代中国では「白」は「透明」をあらわし、「白酒(パイチュウ)」と呼ばれるアルコール度数が非常に高い蒸留酒の名前は、瓶を通して向こう側まで「透けて見える」からなのだとか。つまり「白い目で見る」といった使い方をされる「白眼(はくがん)」は、「にらむ」のではなく実は「無視する」ことを意味する。

 本書を閲読していると言葉の成り立ちの解説が面白く、なにやら初期の目的を忘れてしまいがち。吉川英治の『三国志』には「秀雅(しゅうが)」という言葉が出てきて、「秀雅にして高からぬ山」とあるのは、それだけで「鋭角にそびえ立つエレベストのような山ではなく、なだらかな稜線(りょうせん)の山」がイメージされるのだそう。そして、「ガチで勝負」とか「ガチバトル」などの「ガチ」は、「雅さがある」という意味の「雅致がある」を由来としているので、真剣勝負は決して全力を尽くしたギリギリの闘いではなく、雅さを有することになる。

 そして「善魔」と並び、「小絶(おだ)える」という造語にも感心させられた。円地文子の『妖(よう)』という作品に、「やがて又小絶えている雨が降りはじめるのであろう。」とあるそうで、この言葉は辞書に載っていないため本書では前後の文脈から「ほんの僅かの間止んでいる(雨)」と類推している。こういう「小(を)」の使い方は、すでに奈良時代にはあったらしく、『万葉集』や後年の『源氏物語』にも見られるというから、もしかするとそれらにヒントを得たのかもしれない。

 古くからある言葉を使うにしても、新しい言葉を造語するにしても、一朝一夕には出来ぬもの。本書でも紹介されている「醸成(じょうせい)」のように、「内側からじわじわと徐々に変化していく」のには、人生経験を積んで醗酵させていかなくてはならぬようだ。

文=清水銀嶺