日本で「女子」でいることはかなりしんどい? “「女子」という呪い”から脱出するために

暮らし

2018/8/2

『「女子」という呪い』(雨宮処凛/集英社クリエイティブ)

 どうして女になんて生まれちゃったんだろう。悲しいかな、この国で女子をやっていると何度も何度もそんなことを思う。

 レイプ被害を訴えれば、殺害予告を受け外国に亡命せざるを得ないし、見た目に気を使う暇もないほど忙しく働けば、「女子力がない」と嘲笑され自殺に追い込まれるし……。なんだろう。このどうしようもなく腹立たしい気持ちは。

 ただ女に生まれただけなのに、どうしてこうも嫌な思いをしなければならないのか。私自身、就職活動のとき「君が男の子だったらよかったのに」と言われて、泣きながら抗議した思い出がある。その日から、女というだけで虐げられるいわれはないと、いろいろなところで声を上げてきた。SNSやブログはもちろん、飲み屋で差別的な発言をするおっさんに食って掛かったこともある。

 だけど最近、ふと思う。正直疲れてしまった、と。何が問題なのか言語化することにも、それを論理的に訴えることにも。だって、飲み屋で絡んできたおっさんに、あなたの発言は女性差別だと説明したら「こんなところでケンカをふっかけるなんて、女のクセに上品じゃない」と、今の今まで一生懸命話してきた私の努力はなんだったの……? と絶望的な思いをさせられるのだ。

 そんなとき出会った『「女子」という呪い』(雨宮処凛/集英社クリエイティブ)。この本は、憔悴しきっていた私に、再び立ち上がる勇気と希望を与えてくれた。

 著者の雨宮処凛さんは、女性が感じる生きづらさを〈「女子」という呪い〉と表現しているのだが、これほどしっくりくる言葉がほかにあるだろうか。女だからという理由で、生まれた瞬間から理不尽に背負わされている苦痛。これはまさに「呪い」なのだ。

 さらに、雨宮さんは私たちの「呪い」をひとつずつ丁寧に言語化しては、その理不尽さを論理的に訴えてくれる。「そう、そういうことが言いたかったの」「わかる、こういうの本当にありえないよね」と読みながらずっと共感していたし、読み終わった直後は素直に「ああ、救われた」と感じた。

 そうやって、私を絶望の淵からすくい上げてくれた『「女子」という呪い』。ここで本書の中から、私がとくに共感した部分を抜粋して紹介したい。

セクハラには「場の空気」を壊さないよう笑顔であしらう技術まで求められ、それが「大人の女のたしなみ」みたいに誤解されている。ときに知っていることにも「無知」を装うことを求められ、なぜかいつも男に「上から目線」で「評価」され、点数をつけられたりしている。男は男で自分のことは棚に上げ、「女を評価して当然」と思っている節さえある。こっちはちっとも納得も了承もしていないのに、なぜお前ごときに評価され、点数をつけられなければいけないのか。

私は時々、男性全般に対して「ずるい」と感じてしまう。妊娠する可能性がある性とない性という問題に限らず、男女の間には、いつもいかんともし難い「非対称性」が横たわっていて、女子ばかりが損することが多い気がするのだ。

意見することは面倒だし、傷つけられるし、キレられるし、女性の場合「そんなこと言ってるとモテないぞ」なんて嫌なことを言われたりする。

 今後もし、飲み屋で絡んでくるおっさんに出くわしたら、この本を叩きつけてやりたい! きっとこれからも「どうして女になんて生まれちゃったんだろう」と、女子という呪いに苦しめられることは何度も何度もあるだろう。でも、この本と出会えて、失いかけていた勇気と気力が再び湧いてきたから。ときに悩んだり傷ついたりしながら、強大な敵に立ち向かっている同志がたくさんいるんだと思えたから。

 あのお笑い芸人じゃないけど、心から「女に生まれてよかったー!」と言える日まで。私はこの呪いとまだまだ戦っていける気がする。

文=近藤世菜