朝、目覚めて、戦争が始まっていたら何を思うか……。70年前の著名人が残した衝撃的な言葉
公開日:2018/9/10

1941年12月8日、午前7時にラジオから臨時ニュースが伝えられた。
「帝国陸海軍ハ今8日未明西太平洋ニオイテ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ」
太平洋戦争が始まったことを、国民に伝える内容だった。
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社編集部:編集、武田砂鉄:他/方丈社)は、当時活躍していた知識人や著名人がこの12月8日をどう受けとめていたのか、彼らが遺した日記や回想録から読み解いていく本だ。とはいえそれまで何もなかったのに、いきなり真珠湾を目指したわけではない。日本は1931年の満州事変以降、10年もの間中華民国(当時)に攻撃を仕掛けていた。いわば日本人は、その頃すでに戦争的な空気に慣れていたと思われる。だから意外と、驚きは少なかったのではないだろうか?
読む前からそう予測していたものの、たとえば17歳だった吉本隆明の、
ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。
という無邪気な言葉や、22歳だった詩人の黒田三郎の、
今日みたいにうれしい日はまたとない。嬉しいというか何というかとにかく胸の清々しい気持だ。
という言葉を目にして、正直面くらった。
いよいよはじまったかと思つた。なぜか體ががくがく慄へた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた。
と書き遺したのは、児童文学作家で当時28歳の新見南吉だ。新見の『ごんぎつね』は小学校の教科書にも載っているので、親しんだ人も多いだろう。哀しさが漂う児童文学を書いた作者は、開戦を「ばんざあい」と思っていたのだ(しかし彼は終戦を見届けることなく、1943年に結核で亡くなっている)。
権力や体制に反抗的というイメージを持ってしまいがちな作家や思想家が、軒並み開戦を肯定的に受けとめる言葉を遺している。それは彼らがまだ若く、また時代の空気もあって戦争がどんな悲惨を招くかに、思いをはせられなかったことによるものかもしれない。しかし51歳のジャーナリストの清沢洌こそ、
けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった
と言っているものの、やはりジャーナリストで73歳だった鶯亭金升ときたら、
明治の日清、日露、両戦役と異りて、我が大日本国空前の戦いなるかな、老の身も若やぐ心地して心神爽快、旭日輝く空を見上げて拳を握る
の有様だ。
彼らの真意がどこにあるかはもはや確かめようがないが、多くが反骨どころか概ねイケイケで捉えている。太平洋戦争は軍部が暴走したから始まったのではなく、知識人はじめ市井の人たちも、ある意味で後押ししていたことがよくわかった。
解説を担当した武田砂鉄さんも、巻末で、
この企画を聞かされた段階では、さぞかし重々しい絶望が個々人を襲ったのだろうと推測したが、いざ、読み進めると、そこには、日常を揺さぶられまいと力む言葉があれば、むしろ歓待し、テレビゲームのリセットボタンを押すような快感を覚えている言葉すら見受けられた。それこそ正常性バイアス、これから起きようとしていることは、私たちの日常にとって必要なことなのだと、どこか清々しく受け止められていた。
ええ、そうなると思ってましたよ、こうなるべきだったんですよ、とそのまんま受け止める。泥沼に足を突っ込むのではなく、リセットボタン。あえて俗っぽくいえば、ワクワクしてすらしていたのだ。
と書いている。武田さんの言葉を借りれば正常性バイアスとは、有事に直面した人間がこんなことはあり得ないという先入観や偏見を強めることで、眼前の物事を、あくまでも正常の範囲であると認識する心のメカニズムのことだそうだ。その正常性バイアスの極みともいえるのが、同書に付記されている太宰治の『十二月八日』だろう。
「おひる近くなって重大なニュウスが次々と聞こえて来る」ようになったこの日、主婦の私は100年後にどこかの土蔵の隅からこの日記が発見されるかもしれないと思い、とくべつ丁寧に日記を書くことにする。
その内容は終始妙なテンションとなっているものの、特段変わったことも起きない。娘の園子をお湯に入れるのが「私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ」と言っているように、「ぶんまわしで画いたように真んまるで、ゴム鞠のように白く柔い」園子のお腹をいつくしみながら入浴するシーンなどは、幸せに溢れるばかりで戦争の影などみじんも感じられない。まさにこれが正常性バイアスなのだと、強く感じさせる短編だ。(なお『十二月八日』は、青空文庫でも読める https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/253_20056.html)
彼らが遺した言葉を「70年以上前のものだから」と切り捨てることはたやすい。しかし考えてほしい。日本以外の国では、今でも紛争が起きている。そして日本では、毎年のようにどこかで大災害が起きている。それを知りながらもいつもと変わらない日常を過ごしている私たちはすでに、70年以上前の彼らと同じ正常性バイアスに取り込まれてしまっているのではないだろうか。
まずは知識人たちの言葉に衝撃を受け、次に周囲を改めて見まわし、自分自身の鈍感さに再度衝撃を受ける。この先もし、朝、目覚めると、戦争が始まっていたら自分はどう思うのか。おそらく「戦争に反対し続けた最後の1人」ではないだろうという絶望を存分に味わえる、今読むべき一冊と言えるだろう。
文=碓氷 連太郎