「自分らしく生きなさい」の“自分らしく”ってなに? と子どもに聞かれたら答えられますか?

出産・子育て

2018/9/16

『14歳の君へ どう考えどう生きるか』(池田晶子/毎日新聞社)

 思春期のお子さんをもつお母さん・お父さん、あなたがたのお子さんは「生きていることは、つらいことだ」と思っているかもしれません。「あなたらしく生きればいいのよ」、「お前が好きなことをやったらいい」——そう声をかけてあげることだって、ときにはあるでしょう。

 しかし、残酷ですがお子さんが求めているものはそういったことではないかもしれません。「自分のやりたいことを」とはいいつつも現実ばかり見ている大人たちがかける言葉にうんざりしている可能性もあります。

 彼らはその場しのぎの陳腐な言葉を求めているのではありません。彼らが真に欲しているのは、意識的であれ無意識であれ——これから自分たちが歩んでいくはずの社会について考えるための道具なのです。

 まさにその道具を与えてくれたひとりの哲学者がいました。その哲学者が多感な時期にある青少年のために書いた『14歳の君へ どう考えどう生きるか』(池田晶子/毎日新聞社)を、本稿では紹介していこうと考えています。

■「個性的な人になりなさい」

「個性的な人になりなさい」——これはいったいどういうことでしょうか。もしこれが「自分らしく、自分の好きなようにしなさい」という意味ならば、極端な話、「やりたいことだけやって自分勝手に生きなさい」ということになってしまいます。果たしてこれでよいのかと問われれば、誰もが否と答えるはず。

 多くの人がそうと分かっているから、「それではダメだ。ならば自分らしさって何だろう」といって“自分探し”をしているのです。まるで本当の自分というものがどこかに存在しているかのように。

 しかし、それはもしかすると間違っているかもしれません。ふとした瞬間に本当の自分だと思っていたものが消えてなくなってしまうことだってあるでしょう。たとえば、YouTuberである自分が本当の自分であると信じて生きてきたのに、ある日とつぜん画面を通して自分をみんなに見せるということに飽きてしまったら。YouTuberであることは自分らしいことでもなく、本当の自分でもなかったことになります。

 くまなく探せば見つかりそうな本当の自分は、実は存在していないのです。自分の意図するところに自分はいません。ただ「自分」はそこにあり、そのありかたが「個性」なのです。

■「どうやって生きるのか」

 お子さんは困っているかもしれません。なぜなら、お母さんやお父さんに、一方では「個性的な人になりなさい」と言われ、他方では「もっと勉強しなさい」と喝を入れられるから。改めて考えてみると、これでは八方塞がりなのがおわかりでしょう。

 こうした状況を打破して「どうやって生きるのか」「どんなふうに生きるのか」を考えるのが「道徳」です。「君はどんなふうに生きていますか」と問うてみると、こう返ってくることが多いようです——「ただ何となく生きている」。

 しかし、そこには主体的な善悪の判断はありません。自分に代わって誰かが決めてくれた善悪に従って生きているだけ。だけれども、そんなものを信じていいはずはないでしょう。その基準が本当に正しいかどうかはわからないから。

 何が善いことで何が悪いことかを、自分の頭をフルに使って論理的に考える。そうして導かれた「どんなふうに生きるのか」という問いに対する答えを、わたしたちは尊重して生きていかねばなりません。わたしたちはことあるごとに自分で判断して行動しなければならないのです。

 ここまで、ひとりの哲学者が書いた「個性」と「道徳」についての考えを紹介してきました。このふたつをはじめとした著者の考えは、社会について考えるための道具だといっても差し支えないでしょう。

 本書はいわば偉大な哲学者が思春期のお子さんたちにしたためた、社会を考えるのに必要な道具を示すためのお手紙です。これをリビングのテーブルの上に、あるいはお子さんの勉強机の上にそっと置いてみてはいかがでしょう。

文=ムラカミ ハヤト