ヤクザが“庶民のスター”だった時代!? 強烈な個性を放つ昭和の極道者列伝

社会

2019/7/26

『昭和のヤバいヤクザ』(鈴木智彦/講談社)

 暴力団対策法(暴対法)や各地方自治体の暴力団排除条例の施行以降、ヤクザの“しのぎ”は年々苦しくなっているという。だが、その間隙をぬって半グレ集団の勢力が拡大したように、いわゆる反社会勢力が完全にいなくなるという世界はなかなか到来しない。いつの時代、どこの国だろうと、社会にそのような集団は一定数いるのだろう。そして、その表面的な在り方が時代によって変化しているのだ。

 ヤクザを取り巻く状況は平成以前と以降で大きく様変わりしたが、一番大きく違うのは、一般市民であっても誰もが名前と顔を知っているようなヤクザがいなくなったことかもしれない。昭和の時代には、良くも悪くも有名なヤクザという存在が何人もいた。現代の感覚からすると信じられないかもしれないが、そういった有名ヤクザは、ある種、庶民のスターのように考えられていたのだ。スター選手に憧れてプロ野球を目指すように、当時は彼らに憧れてヤクザの世界に飛び込んだ若者もいたのである。

 そんな昭和の個性的なヤクザたちの列伝が、『昭和のヤバいヤクザ』(鈴木智彦/講談社)である。著者は、ヤクザ専門誌『実話時代BULL』の元編集長で、日本の漁業とヤクザの密接な関係に鋭く迫った『サカナとヤクザ』(小学館)など、“裏社会”をテーマとした著作も多いルポライターだ。

 本書は3章構成になっている。第1章では、終戦直後、従来のヤクザとは一線を画す存在として東京に現れ、一瞬の輝きを残して消えていった愚連隊について記されている。第2章は、映画『仁義なき戦い』シリーズの登場人物のモデルとなったヤクザたちの実像を描きながら、複雑怪奇な広島抗争の真相に迫る。第3章は、戦後、山口組を日本最大規模の暴力団に押し上げた面々と、その後の熾烈な内部権力闘争を描いている。

■戦後のアウトロー集団“愚連隊”の素顔は

 本書のどの章にも強烈な個性の持ち主たちがそろっており、興味深いエピソードばかりだが、個人的には第1章で紹介されている愚連隊たちの個性が際立っているように感じた。

 元祖愚連隊であり、「愚連隊の神様」とも呼ばれた万年東一や、「新宿の帝王」と呼ばれた加納貢、「愚連隊の王者」と呼ばれた安藤昇、その安藤の右腕で「ステゴロ(素手の喧嘩)一番」と呼ばれた花形敬…。彼らは、それまでのヤクザとは違い、みな育ちのいい裕福な家庭の子息であったそうだ。それゆえ、彼らの多くはまったくといっていいほど金にこだわらなかった。では何をしていたのかと言えば、戦前までの権威や価値観が完全に無効化した戦後の荒廃のなかで、自由に暴れまわっていただけである。

 また、彼らのグループにはヤクザ組織のような厳しい規律や掟もなければ、親分子分の絶対的な上下関係もなかった。愚連隊には、当時としてはまだ少数派だった大学生もおり、いわば学生サークルに近いノリだったのかもしれない。万年東一は「ちょっと早く生まれただけで、みんな同じじゃねぇか。子分の命を好き勝手使うなんて法がどこにある」と、いつも言っていたという。

 そんな万年は、年下の人間にもつねに敬語で話していたとも伝えられている。そういった風通しの良さに惹かれ、学生も含めた多くの若者が彼らのもとに集まり、愚連隊は勢力を拡大していった。

 だが、彼らはどこまでいってもアマチュアの集団でもあった。戦後の復興が進んで社会秩序が回復してくると、組織の論理を前面に立て、また体制側にも順応的であったプロのヤクザ組織の前に、彼らの何人かは命を落とし、愚連隊グループも次々と崩壊、あるいはヤクザ組織に吸収されていった。その活動は極めて短期間で終わったのである。

 以後、ヤクザの世界も管理社会化が進み、ヤクザたちも無個性な一種のサラリーマンとなっていく。さらに、暴対法や暴力団排除条例による締め付けが厳しくなった現在は、著者によれば「個性が力だった時代は終わった。これからのヤクザに必要なのは、大振りをせず、フォアボールと相手のミスだけを願って試合に挑む消極性のようである」とのこと。そうなると、なんのためにヤクザをやっているのかよくわからない気もするが、これもご時勢。いたしかたないのだろう。

文=奈落一騎/バーネット