市原悦子が遺した、役者のプライドと愛あふれる言葉――「人には、美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ」

暮らし

2020/1/12

『いいことだけかんがえる 市原悦子のことば』(沢部ひとみ/文藝春秋)

 ころころと可愛らしい声の印象に反して、人のプライバシーに無遠慮に入りこむむきだしの好奇心。それがドラマ『家政婦は見た!』で市原悦子さんの演じた石崎秋子のイメージだ。殺人は一件も起きず、問題は何一つ解決しない。ただ、秋子が見聞きした家庭の暗部をラストでぶちまけて去っていくだけ。その本質は「単なるのぞき趣味ではない、人間の奥底にある好奇心をテーマにした、品のある社会派ドラマ」だったと、『いいことだけかんがえる 市原悦子のことば』(沢部ひとみ/文藝春秋)にある。

 原作である松本清張の小説を読んで「どうしてこんな嫌な役を私に?」と言った市原さんが、その本質を表現するため、秋子を“不幸だけど情のある女”に演出したことも。そのエピソードを読んだとき、市原さんこそが真の好奇心にあふれた人であるような気がした。いいところからも悪いところからも決して目をそらさずに、人間のありようをそのまま見つめ、演技によって多面的にあぶりだす。だから名優と呼ばれたのだと。

 それは市原さんのこんな言葉にもあらわれている。

役を作る上で、悪人、善人というのはない。美しい人、醜い人というのはない。人には、美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ。

 市原さんと20年交流を続けた著者が、「市原悦子のことば」の中でも名言中の名言、というこの言葉は、市原さんの抱いてきた外見へのコンプレックスが基になっている。「美人にあらず、不美人にあらず」と作家の佐藤愛子は市原さんを評したそうだが、岸惠子や八千草薫といった美人女優が主演級をつとめる一方、芸者や女中、お手伝いさんといった役ばかりを与えられる時期が続いたなかで、自分にしかできない表現――いや、市原悦子だからできる表現を模索し続けた結果なのだろう。

 本書を読んでいると、市原悦子という役者がいかに演技に人生を注いでいたか、2019年1月、82歳で亡くなるまで貫きとおした矜持がひしひしと伝わってくる。その「仕事論」は、そのまま「生き方論」にも通じる。69歳で肺がんになって始めた断捨離という名の身辺整理。写真は一つの出来事につき数枚しか残さないと決めて、不要なものはビリビリ破いた。そうしないとあとで拾ってしまうかもしれないから。

『まんが日本昔ばなし』で「やまんば」を演じて以来、その存在に想いを馳せ続けたのは、家族に捨てられたり周囲に疎外されたりして、やまんばにならざるをえなかった人たちが牙をむく痛みと、どんな姿になっても生き抜こうとする生命力、そして内に残る優しさに惹かれるから。甘えを捨ててわりきる潔さと、他者への情を忘れない心。それが役者として、人間として市原さんの人生を豊かにしてきたことがわかる。

 綴られる市原さんの「名言」はもちろん、著者の畏敬と愛にあふれたまなざしが、「市原悦子」がどんな人間だったかを物語っている。生前、もっとその演技と言葉に注意を払っていなかったことを悔やみつつ、再評価されているという遺作『しゃぼん玉』を哀悼もこめて観ようと思う。

文=立花もも