ヒトは哺乳類の中で最も難産なのに、なぜ体を進化させようとしないのか?

スポーツ・科学

公開日:2020/2/8

『残酷な進化論』(更科功/NHK出版)

 ときどき私たちは、自分がヒトであることを忘れているのではないか。仕事では機械のような完璧な働きぶりを要求され、人付き合いでは相手に不快のないような言動をとらなければならない。

 なぜこんなに必死に生きているのか。もっと人間らしく、のんびりした環境でのほほんと生きる道があってもいいはず。そんな人にオススメしたい本がある。

『残酷な進化論』(更科功/NHK出版)は、ヒトの体の不完全さを解説している。そのために、なぜ不完全な部分が生まれたのか、進化の過程もあわせて述べている。ヒトとはどんな生き物なのか、そもそも生きるとはなにか、俯瞰して知ることができるはずだ。

advertisement

 本書を読むと、きっと自分がヒトであることを思い出すだろう。

■ヒトは哺乳類の中で最も子どもを産むことに苦労する

 当たり前だが、ヒトが地球上で大繁栄できたのは、他の動物を圧倒する強固な社会を組んだからだ。そして様々な道具を開発して活用しているからだ。決して“生物として完全無欠な体”を持っているわけではない。むしろ生物としてみれば、体のあちこちに不完全な部分がある。

 たとえば難産だ。ヒトは哺乳類の中で最も子どもを産むことに苦労する。これは直立二足歩行と頭の大きさが関係している。

 直立二足歩行をするには、体の様々な部分の構造が特殊でなければならない。特殊というのは、他の類人猿の構造と異なるということだ。その詳細は本書に譲るとして、とにかくヒトの脊椎はS字に曲がっている。そのため産道もカーブを描いてしまい、赤ちゃんは体をS字にくねらせて産道から出てくる。これは大変だ。

 さらにヒトの頭は体に対して相対的に大きい。そのおかげで現在の大繁栄があるのだが、出産に関しては難点だ。だからヒトは骨盤の構造を祖先から少しずつ変えて、どうにか胎児の頭が通り抜けられるよう進化した。

■あちらを立てればこちらが立たず

 ここで疑問がわく。生物にとって出産は、最も大事なことだ。なぜヒトは、難産という欠点を抱えたままなのか。残念ながら「あちらを立てればこちらが立たず」という言葉があるように、ヒトの難産は致し方ない部分がある。

 たとえば産道がカーブを描く元凶である、S字の脊椎。私たちの背骨はS字に曲がっており、これは他の霊長類に見られない特徴だ。このS字をまっすぐにしてしまうと、歩行の衝撃がそのまま体に伝わってしまい、どうにも具合が悪い。S字の脊椎は、車のサスペンションのごとく衝撃吸収の役割を果たしているのだ。

 ならばと、産道を広げるため骨盤を大きくするわけにもいかない。骨盤が左右に大きく揺れて歩きづらくなるうえに、骨盤を作りだして維持するエネルギーも必要だ。

■生物は常に進化しているわけじゃない

 ヒトが難産なのは困り果てたものだが、それと引き換えに他の生物とは違うメリットを享受するようになった。直立二足歩行によって、手が自由に使えて、食料を持ち運べるようになった。か弱い子どもに確実に食料を届けて、生存率を高められるのだ。

 そもそもヒトが直立二足歩行を始めたのは、一夫一妻制という配偶システムが影響したからだともいわれている。その理由を述べると長くなってしまうので本書に譲りたい。

 とにかくヒトは自然界の中で生き残るため、体の良い部分と悪い部分のバランスを見極めながら、工夫を重ねて今の体へたどりついた。これはあらゆる生物にあてはまる。一般的にはこれを進化というが、すべての生物は体のあちこちをすべて進化させてきたわけじゃない。

 カンブリア紀と呼ばれる約5億年前のこと。ハイコウイクチスという魚類が生きていた。発見された脊椎動物の化石の中で最も古いもののひとつであり、私たち脊椎動物の共通の祖先だ。

 ハイコウイクチスは、5億年前にしてヒトに近い機能を持つ目を持っていたと考えられている。高性能な目を持っていたのだ。ところがそれから5億年後、今生きている脊椎動物の中には、光しか感じられない目やそれよりちょっとだけ高機能な目を持つ動物がいる。どちらもハイコウイクチスの目から退化したのだ。

 あらゆる生物は常に生き残りをかけている。だから体のある部分を進化させることがあれば、ある部分を退化させることもある。ヒトでいえば盲腸がその典型だ。どれだけ優れた機能であろうが、その環境で必要ないならば、生物は時間をかけて捨ててしまう。

 体を進化させたり退化させたり、行ったり来たりしながら、地球上の生物は頑張って生きているのだ。これを自然淘汰といい、生存闘争とも表現できる。

■生存闘争とは地球における椅子取りゲーム

 本書にはこんな解説がある。

生存闘争とは地球における椅子取りゲームのことで、すべての生物が必ず行っていることだ。もしも生存闘争をしない生物がいたら、地球はとっくにその生物で埋め尽くされているはずだ。だから、生存闘争をしない生物はありえないし、生存闘争を考えない進化論もありえないのだ。

 生存闘争というと、つい血生臭いイメージがわく。もう少し具体的に述べると、「天寿を全うせずに死ぬ生物がいる」ことだ。だから木の上でさえずる小鳥も生存闘争の真っ最中だし、ビールを飲んでいい気分になっている人間も生存闘争の真っ最中だ。別の個体に椅子を明け渡さないよう、一生懸命生きて座り続けているのである。

 私たちヒトは、体のあちこちを進化させたり退化させたりしながら、環境に適応することで生き残ってきた。大繁栄して盤石な地位を占めているように感じるが、もし地球の環境が変わるとあっという間に絶滅する可能性がある。だから今も本当に少しずつ体を進化させたり退化させたりして、工夫を重ねている。

 生物は不完全だからこそ、生存闘争を行うのではないか。本書を読んで、私はそう読み取った。

 ときどき私たちは、自分がヒトであることを忘れている。仕事を頑張るのも、プライベートで遊び呆けるのも、すべては生存闘争のため。他のヒトや生物に椅子を取られないよう、どんなにのほほんと過ごしていても、頑張って生きなければならないのだ。

文=いのうえゆきひろ