ドラえもん、DEATH NOTE、あしたのジョー…マンガ業界のトラブル=事件から読む、日本のマンガ史

マンガ

公開日:2020/7/2

『日本マンガ事件史』(満月照子、桜井顔一/鉄人社)

 海外でも広く支持されている日本のマンガ。しかし、物事には表と裏があり、歴史をひもとけば、数々のマンガ作品が“表現の自由”などを理由に、さまざまなトラブルや事件に見舞われてきた過去もある。
 
 マンガにまつわるあらゆる騒動の顛末を記録した書籍『日本マンガ事件史』(満月照子、桜井顔一/鉄人社)は、1930年代から現代へ至るまでにあった、マンガ界の“ダークサイド”を知ることができる1冊だ。

同人誌が発端になった『ドラえもん』最終回を巡る事件

 世代を超えて人気のある国民的アニメ『ドラえもん』にも、たびたび騒動が巻き起こる。都市伝説的に語り継がれている“幻の最終回”を巡る、2次創作物が物議をかもした事件もあった。

 ある日、突然動かなくなったドラえもんを救うため、人が変わったかのように勉強を始めたのび太がやがてロボット工学者となりドラえもんを復活させる――こんな感動的なエピソードをどこかで見聞きしたことがある人もいるだろう。

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 2005年にマンガ家のT氏がこの物語を描き、同人誌即売会で販売。感動的な内容や絵柄がネットを中心に話題を集めたが、出版元である小学館と制作会社の藤子プロダクションが著作権侵害を通告し、のちに、T氏が正式に謝罪をした上で売上金の一部を支払い、在庫を処分する事態に発展した。

 とはいえ、すでに流通している作品は今なおネットなどでは高値で取り引きされているという。原作者の藤子・F・不二雄は「同人誌や非公認の研究本には寛大で、口を挟むことなく自由にやらせていた」と本書では述べられているが、生前にもし、最終回を目にしていたら何を思ったのかは気になるところだ。

『DEATH NOTE』の“キラ”を名乗った海外の殺人犯

 かつてベルギーで、実写映画も人気を博した『DEATH NOTE』の劇中に登場する殺人鬼・キラを名乗る犯人が現れたことがあった。

 2007年9月28日。ベルギーの首都・ブリュッセルの公園内にある遊歩道で、若い男性の遺体の一部が見つかった。そばにあったメモには「Watashi Wa Kira Dess(私はキラです)」の一文が書かれていたが、発生から約3年後の2010年9月、逮捕された4人の若い男たちが全員『DEATH NOTE』のファンであったことが分かった。

 現地では「マンガ・キリング(マンガ殺人)」と呼ばれた一方で、事件を知った日本のファンからは「事件をマンガのせいにするな!」と批判の声も上がり、物議をかもした。

 マンガをはじめサブカルチャーは何かと“事件の温床”のように扱われるが、因果関係として捉えてよいかは正直、疑問も残る。そう考えると、日本のファンからの発言は至極まっとうな声だったといえるだろう。

学生運動にも影響を与えた力石の葬儀

 1970年3月24日。小学生からサラリーマンまで、およそ800名の参列者が講談社の講堂で漫画のキャラクターに哀悼の意を捧げた。いまだ日本のマンガ史で語り継がれている、ボクシング漫画『あしたのジョー』の力石徹の葬儀である。

 発端は、同年2月22日号の『週刊少年マガジン』に掲載されたエピソードだった。主人公・矢吹丈と同じ少年院出身で、宿命のライバルであった力石との一戦。試合の果てにリング上で絶命した力石のシーンは読者に大きな衝撃を与え、編集部には「いま、5、6人で力石のお通夜をやっているが、正確な命日を教えてくれ」「なぜ彼を殺したのか」といった声が数多く舞い込んだ。

 文化人で劇作家の故・寺山修司が新聞に投書した「誰が力石を殺したか」というタイトルのコラムも有名で、「力石はスーパーマンでも同時代の英雄でもない。要するにスラムのゲリラ矢吹丈の描いた仮想敵、幻想の体制権力だった」という一節は、ちょうど学生運動がさかんであった当時の若者たちの心にも強く刺さったのだろう。

 それは、同年3月31日に起きた「よど号ハイジャック事件」で、飛行機をハイジャックした若者たちの「我々はあしたのジョーである」という犯行声明にも表れていた。

 これらの他にも、数々のエピソードを掲載している本書。マンガはもはや、日本を代表するコンテンツといっても過言ではない。その背景にあった数々の事件を知ることで、作品に対する新しい視点も生まれてくるはずだ。

文=カネコシュウヘイ

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