豊かなはずの日本にある“違和感”の正体は? コミュニケーション能力が低い人間は働く場所がない?

社会

公開日:2020/10/30

『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(熊代亨/イースト・プレス)

 2020年4月、改正健康増進法が施行され、屋内は原則禁煙となった。密になりがちな喫煙所は、クラスターの発生源にもなりかねないから、街中でタバコを吸える場所はどんどん減っている。リモートワーク中、喫煙できるカフェを見つけるのは一苦労だろう。タバコは健康によくないし、望まない受動喫煙は起こるべきではない――健康的な社会を実現するために、それは「正しい」ことなのだろう。だが、どこか窮屈さを感じることはないだろうか。タバコはただの一例にすぎないが、法律で禁じられている薬物ではないし、ひと昔前はみな職場や電車内でも吸っていたのだ…。
 
 日本は、過去に比べて、また他の国と比べて、おおむね豊かな国だといっていいだろう。平均寿命は世界でもトップクラスだし、街はどこを歩いてもたいてい清潔だ。パワハラ・セクハラについては昔より厳しくなり、男女の格差も埋まりつつある。確実に「正しい」方向へと進んでいる。しかし、その「正しさ」によって、新たな“生きづらさ”を生んでいないだろうか。『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(熊代亨/イースト・プレス)は、快適な生活の“裏”にある違和感をすくい上げ、私たちに問いかける。労働、コミュニケーション、メンタルヘルス、子育て…。「正しい」社会から、どうしても零れ落ちてしまう人たちもいるのだ。

労働やコミュニケーションの自由化がもたらしたもの

 現代の日本は、かつてないほど働き口の選択肢が広がった。メールボックスには日々たくさんの求人が届くし、会社勤めでもリモートで副業ができるようになった。だが、裏を返せば、企業の方もより優秀な人材を選べるようになったということ。本書によれば、多くの職場で、昔よりも高いコミュニケーション能力と、テキパキ働く要領のよさが求められている。今の日本は、コミュニケーション能力が低い人にとって働きにくい社会だ。昔は、もっと職場に能力のムラがあったという。ハイクオリティな人材でなくとも、気持ちよく働けるポジションがたくさんあったのだ。

コスパでとらえられてしまう「子育て」の行方

「子育て」にも社会が発展したからこその問題が見え隠れする。日本は、男女問わず大学や大学院への進学率が高まり、子どもの教育にお金をかけることが当たり前になった。それ自体は素晴らしいことだが、学習塾なども含めれば、多くのコストが家庭にのしかかることになる。ネットでは冗談交じりで「3000万円ガチャ」なんて言われることもあるが、やはり自分が育てると考えるとそう簡単には決断できないだろう。私たちは、子育てを「コスパ」で考えている面がある。豊かなはずなのに、子どもは育てにくい環境…。筆者が本書でいちばん驚いた事実は、東京の合計特殊出生率(※)だ。なんと47都道府県中最下位の1.21(2017年)である。

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※合計特殊出生率=15~49歳の女性の年齢別出生率を合計した指標で一人の女性が平均して一生の間に何人の子どもを産むかを表す

 今の日本社会は、おおむね「正しい」。健康、安全、便利さ。どれをとっても他国がなかなか実現できないものばかり。しかし、その中でひずみが生じているのもまた事実だ。ひとりの精神科医でありながら、広範な知識と教養で世の中を俯瞰する著者の筆致は、社会の不都合を次々と明らかにしていく。それはどれも、私たちが心のどこかで意識しながら、見て見ぬふりをしてきたことではなかろうか。

文=中川凌(@ryo_nakagawa_7