みんなに愛されるヒフミンの素顔とは? 強烈な個性が続出、将棋界の奇人伝

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/22

『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』(加藤一二三/KADOKAWA)

 将棋にはさまざまなタイトルの称号があるが、そのなかでもっとも歴史が古く、多くの棋士たちが棋士人生を懸けて目指しているのが「名人」だ。「名人」という称号が誕生したのは江戸時代だが、当初は世襲制であり、名誉職のようなものであった。しかし、1937(昭和12)年以降、名人位は実際の対局で勝ち抜いた者に与えられるようになり、これを実力制名人という。
 
 実力制名人が成立してから2020年現在までの約80年間で「名人」となったのは、木村義雄、塚田正夫、大山康晴、升田幸三、中原誠、加藤一二三、谷川浩司、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光、丸山忠久、森内俊之、佐藤天彦、豊島将之、渡辺明の、わずか15人しかいない。その第六代名人である加藤一二三(かとう・ひふみ)が、歴代名人たちの棋風の分析や、その人となりについて著したのが『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』(加藤一二三/KADOKAWA)だ。
 
 加藤は1954(昭和29)年、まだ中学生だった14歳7カ月でプロ棋士となり、「神武以来」と騒がれた天才棋士である。この加藤の持つ史上最年少棋士の記録は、2016(平成28)年に14歳2カ月でプロ棋士となった藤井聡太が更新するまで半世紀以上も破られることはなかった。そして、加藤は2017年に77歳で現役引退する直前まで長年第一線で戦い続け、先に挙げた歴代名人たちとも、豊島将之、渡辺明以外の全員と対局経験があるという稀有な戦歴の持ち主でもある。これほど、「名人」について書くのにふさわしい人物はいないだろう。

 本書に記されている「名人」たちの棋風に対する著者の分析がどこまで妥当なのかは、専門家でない者には判断がつかないが、将棋マニアではない一般の読者にとっても、「名人」たちのそれぞれの個性や逸話はじゅうぶんに楽しめるはずだ。

 たとえば、初代実力制名人・木村に対して、まだ名人になる前の升田が「名人なんてゴミみたいなもんだ」と言い放ち、木村が「名人がゴミならきみはなんだ!」と気色ばむと、升田が「まあ、ゴミにたかるハエですかね」と言い返したエピソード。あるいは、第三代実力制名人・大山が対局相手をゆさぶるために、こっそり盤の位置を動かしたエピソードなどなど。

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 ただ、本書を読んでじつは一番印象に残るのは、著者である加藤自身の勝負への強烈な執着心かもしれない。なにしろ加藤は、弱冠二十歳で次期名人間違いなしと言われながら何年も足踏みを続けると、行き詰まりを打破するために思い切ってカトリックの洗礼を受けてしまうような人なのである。いわば、神の力、信仰の力を借りてでも勝負に勝ちたい、「名人」になりたいということだが、これは常人の発想ではないだろう。

 本書にはその他にも、

〈学校の試験なら九〇点取れば「優」がつく。しかし、将棋の世界では九〇点は落第なのだ。一〇〇点でなければいけない。たとえ九九点でも負けるときは負ける。〉

という厳しい認識があり、あるいは、『旧約聖書』を引きながら、

〈ちなみに、ダビデ王は、敵の王に捕まって絶体絶命に陥ったとき、口からヨダレをたらして相手に殺意をなくさせ助かっている。〉

などという記述もある。つまり、ヨダレをたらそうがなにをしようが、とにかく勝負を捨てることなくしぶとく生き延びて、最後に勝てばいいということだろう。

 このようなアクの強い勝負師としての加藤の側面は、将棋ファンには広く知られている。だが、棋士引退後、「ヒフミン」の愛称で親しまれ、ユニークなバラエティタレントとして活躍している現在の加藤の姿しか知らない人が本書を読んだら、驚くかもしれない。しかし、この本に書かれている加藤の姿こそが、本来の彼の姿なのだ。そして、バラエティ番組で笑っているヒフミンの顔をよくよく見てみれば、意外と目は笑っておらず、どこかやはり勝負師のような目つきをしていることに気づくかもしれない…。

【あわせて読みたいもう1冊!】
『勝負師 将棋・囲碁作品集』(坂口安吾/中央公論新社)は、戦後の無頼派作家である安吾の将棋と囲碁を題材にした小説、観戦記、エッセイ、座談会などを集めた1冊だ。将棋のほうでは、1947(昭和22)年に木村義雄・名人に塚田正夫・八段が挑んだ第六期名人戦第六局を主題にした「散る日本」や「名人戦を観て」、その2年後に今度は塚田・名人に木村が挑んだ第八期名人戦第五局を描いた「勝負師」などが納められている。現在のものとはかなり違う終戦直後の将棋界の雰囲気が記されており、貴重な記録にもなっている。

文=奈落一騎/バーネット