叱り方が下手な大人たちへ…教員歴45年のベテラン教師が辿りついた「人を育てるコツ」

ビジネス

公開日:2021/2/8

「叱り方」が下手な大人たち (おそい・はやい・ひくい・たかい No.110)
『「叱り方」が下手な大人たち (おそい・はやい・ひくい・たかい No.110)』(岡崎勝/ジャパンマシニスト社)

「怒る」と「叱る」の境界線は、どこにあるのだろう――。幼い頃、両親から怒号を浴びせられ続けたからか、筆者は大人になっても、その違いが分からずにいる。他人を叱ることができず、いつもヘラヘラ笑ってその場をやり過ごしてしまう。

 そんな自分が嫌だったから『「叱り方」が下手な大人たち (おそい・はやい・ひくい・たかい No.110)』(岡崎勝/ジャパンマシニスト社)で、「人の叱り方」を学ぶことにした。

 著者・岡崎勝さんは、教員歴45年のベテラン小学校教員。本書はそんな岡崎さんの実体験をもとに、教師が子どもとどう付き合っていくかを綴った書籍なのだが、本書に出てくる「教員・先生」を「親」に、「学校・学級」を「家庭」に置き換えると親子関係を改善するヒントが見えてくる。

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 また、「子ども」を「立場・経験・文化・背景の違う人」と読みかえるのもおすすめ。職場などで、大人同士の人間関係を修復するのにも役立てられるのだ。

■子どもと向き合う時は、2つの視点を持とう

 岡崎さんが子どもと関わる中で大原則としてきたのが、「対の関係」と「共同体の関係」という2つの視点を大事にすること。「対の関係」とは、一対一で子どもと接する時のこと。対して、「共同体の関係」とは集団の中で子どもと接する時を指す。ひとりの子どもと心を通わせるには、どちらの視点も重視していきたい。

 例えば、家庭内で我が子を叱る時。私たちは「対の関係」を重視し、子どもを叱る。だが、「共同体の関係」を意識し、家庭という周りの目がある場所で叱っているのだと自覚することも大切。これは特に、きょうだいがいる家庭で参考になると思うのだが、「あの子にだけ甘い」という不満は「共同体の関係」をおざなりにした結果、生まれやすいものであるから、双方の視点を取り入れ、ひとりよがりな叱り方にならないように注意したい。

 叱る時は声のかけ方も工夫してみてほしい。我が子がトラブルを起こした時、親はつい「どうしてやったの?」と言ってしまいがちだが、これはNG。

“「どうしてやったの?」というのは、「お前は悪いことをやったんだから、理由があるだろ?」というかまえだからです。”

 岡崎さんは子どもの気持ちに共感を示しつつ、「君らも大変だけど、私も大変だよ。どうしたんだよ……」というように、少し広めの角度で話してほしいと語る。子どもをひとりの人間として尊重しているからこそ、岡崎さんの叱り方は心に響く。

 他にも本書には、公共の場所で叱る時のワンフレーズや、はみ出す子への接し方など、子どもとの向き合い方に悩んでいる親の心を軽くする対処法が多数収録されている。よりよい親子関係を築くために役立ててみてほしい。

■職場の人間関係を円滑にするには叱る側の意識改革を

 強く叱るとパワハラだとみなされやすい今の社会で、部下との付き合い方に悩んでいる人は多いはず。大人が大人を叱るのは、子どもを叱るのとは違った難しさがある。

 そんな時、胸に留めておきたいのが「望ましい子ども像」に対する岡崎さんの持論。

“「子ども像」というのは、ある面で邪魔なものなのです。それなりの理想を掲げるのはいいのですが、それによって傷つく子どももいるのです。”

 これを「理想の部下像」に置き換え、職場での自身の態度を振り返ってみると、これまでとは違った指導ができそうな気がする。

 分からないことやできないことは人によって様々。だからこそ、できないことをただ叱咤して理想像を押し付けるのではなく、意外性のある意見に耳を傾けたり、間違えたことに意味を持てるようにフォローしたりしていける余裕を、まずは叱る側が身に着けていきたい。そうすれば、職場のムードが良くなり、生産性が高まる可能性も大いにある。

 心地よい職場にするには「大変だね」という声かけを積極的に行っていくのもおすすめだ。これは岡崎さんが高学年の子に行っているもの。人には余計なことを聞いてほしくない時だってあるから、岡崎さんは「話せるなら聞くよ」という意味を込めてこの一言をかけているという。ほどよい距離で寄り添ってくれるこの言葉は、大人同士が心を通わすための架け橋にもなってくれそうだ。

 なお、岡崎さんは本書内にこんなメッセージもしたためている。

“他者は敵ではなく同胞であり、批判は助言であり攻撃ではないのです。子どもは従順であるより自由を優先するものであり、親は子どもの支配者でなく応援者であり、教師は指導者というより伴走者です。”

 誰かを叱る時には、この言葉の意味を噛みしめたい。人を叱ること――それは、私たちにできる一種の愛情表現なのだから。

文=古川諭香