あまりにも数奇で業の深い作家・爪切男の半生を辿る――3カ月連続刊行の第一弾『もはや僕は人間じゃない』

小説・エッセイ

公開日:2021/3/6

もはや僕は人間じゃない
『もはや僕は人間じゃない』(爪切男/中央公論新社)

 なんと業の深い人だろう――爪切男『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)を読み終えての印象はこれに尽きる。笑っていいのか泣いていいのか、同情したらいいのか嘆いたらいいのか。とにかく爪の周囲には思いもよらないことが頻繁に起こる。幼少期、母に捨てられた爪は、厳格だった父にスパルタ教育という名の鉄拳制裁を食らう。その後も紆余曲折の人生で、どこまで話を盛っているのか? などと勘繰ってしまうのだが……。

 作家を目指していた爪は、先述の父親から自由になるために上京。だが、肝心の創作活動は手つかずのまま。その傍ら、爪はアクの強い女性たちと情交を重ねていた。この辺りの詳細は、テレビドラマにもなったデビュー作『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)に詳しい。

 6年同棲した彼女にふられ、酷く落ち込んでいた爪だが、一方で私小説も執筆していた。『夫のちんぽが入らない』の著者であるこだまらと同人誌を制作。文学フリマという文学作品の即売会で販売したところ、思いがけない高評価を獲得。単著の発行へと繋がってゆく。

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 そうした勢いを駆って3カ月連続で爪の著作が、異なる出版社から刊行される。劈頭を飾るのが、『もはや僕は人間じゃない』だ。人間じゃない……。書名は、もはや人間じゃないほど様々なハードルをギリギリで越え続けてきた彼ならではの回顧録ということか。

 まず、失恋して酷くへこんでいる爪を、会社の上司はMIXバーへ連れてゆく。性別、年齢、職業、国籍を問わず、多様なジェンダーの人が集まるその店に、爪はすっかり魅了される。特に女装家で男性が好きな店員・トリケラとはその後、長年の友達となる。

 もうひとつの大きな出会いは、由緒正しいという寺の住職との出会い。ほぼ毎朝、寺を訪れることが日課になった爪は、その寺の住職と言葉を交わし始め、顔見知りになる。この住職、さぞかしストイックに修行に励んでいると思いきや、爪はパチンコ屋で彼を発見。なんと昼間からパチンコばかりしていたのだ。

 しかし住職は平静を装い、仏教の用語に中道という考え方があることを説く。中道はお釈迦様が修行の末に悟った心理のひとつで、簡単に言えば、あなたにとってのちょうどいいを見つけなさいということだ。苦しい修行をしてばかりでもいけない。かといって怠けすぎてもいけない。人という生き物は極端なことは簡単にできる。右端を歩くのは簡単。左端を歩くのも簡単。でも道のちょうど真ん中を歩けと言われると、意外と難しいと思いませんか? 住職はそう述べる。

 この理屈、住職がパチンコ屋通いを正当化するための方便とも取れるが、爪は仕事に「中道の思想」を持ち込んだ。過酷な労働条件を強いられる職場を離れ、裏方である事務作業に回ることに。結果は大成功、楽しすぎてもダメだし、つまらなすぎでもダメ、という発想を見事に現実化したということだ。

 それにしても、いい大人になっても「童貞マインド」を忘れない爪の性的な想像力は予想の斜め上をいく。最も驚いたのが、爪が近所の墓場を訪れた際のこと。爪は墓石に刻まれた女性の名前と享年を見て死者に話しかける。本人曰く、「ナンパ」らしい。

 また爪は、仏像についても興味を持ち、住職の協力を得て、できるだけ色っぽい仏像を探す。その結果、なめらかなボディラインが魅力的な満月菩薩に行きついたという。とにかく想像力、いや創造力に満ちているのだ。

 爪の話はどれも引きがある。トリケラは爪の過去のエピソードを面白がって、その話はもっといろんな人にしたほうがいいと勧める。実際、それらは創作のネタとなり、本書を書くモチベーションにもなっている。辛かった過去は自分から笑い話にするのがいちばん。ネタの引き出しは多ければ多く、濃ければ濃いほど読者の耳目を惹く。脳内でくすぶっていた出来事を成仏させるにはもってこいだ。その数奇な半生を、居酒屋で友達に披露するだけではもったいない。どうせなら文章化して利益を得るのが得策で、それを実践したのが本書ということになる。

 最後になってしまったが、爪とトリケラらが出会った2011年当時、「オカマ」という言葉は侮蔑的なニュアンスで使われていた。そうした事情を知った爪は、セクシュアル・マイノリティについて熱心に勉強。教科書的に知識を得てくる。

 それに対するトリケラの対応は鷹揚なもので、なんと呼ばれても構わないし、男性が好きなトリケラという形容がしっくりくると言う。ただ、LGBTへの関心や認知度が今より圧倒的に低かった当時、そうしたカテゴライズで傷ついた人は多数存在した。その事情を知った爪は、LGBTの定義をまるまる暗記してくる。トリケラには「真面目過ぎる」と突っ込まれたが、爪は真摯で誠実だと思う。自分たちが「理解される」というよりは、「存在を認めて欲しい」—―そんなトリケラの本音が読後も記憶に残った。

文=土佐有明