生き延びるために何を諦めるか? アカデミー賞最有力『ノマドランド』の原作本から見えるアメリカンドリームの嘘

文芸・カルチャー

公開日:2021/4/11

ノマド 漂流する高齢労働者たち
『ノマド 漂流する高齢労働者たち』
(ジェシカ・ブルーダー :著、鈴木 素子:訳/春秋社)

 食費、クレジットの支払い、家賃や家のローン、ガスや水道と光熱費。生き延びるためにこの中で何かを諦めなければならないとしたら、あなたならどれを選ぶだろうか?

“連邦政府が定める最低時給で働くフルタイム労働者が2ベッドルーム住宅を借りられる州や都市、郡は、アメリカにはひとつもない”

 2019年に全米低所得者向け住宅連合(National Low Income Housing Coalition:NLIHC)は、住居費を収入の30%以内に抑えながら賃貸住宅を借りるために必要な時給の試算からこのような報告書を公表した。住宅にかかる費用が生活費の大部分を占め、低賃金労働者の生活を圧迫しているのだ。

 かつてアメリカンドリームを信じて働き、資産を蓄えて悠々自適のリタイア生活を夢見ていた世代も同様だ。2008年に起こったリーマンショックと住宅市場の崩壊によって貯蓄や資産の大半を失い、リタイア後の人生設計や保証が無に帰してしまった彼らは、自身の受け取る年金額を見てこれまでの生活を維持することが不可能であると悟った。

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 そして彼らの一部は生き延びるためにある選択をした。生活を大きく圧迫する住宅費(家賃・光熱費など)を捨て、車で生活することを選んだのだ。

高齢者の季節労働者「ノマド」

『ノマド 漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー :著、鈴木 素子:訳/春秋社)は、定年退職し高齢となった年金暮らしの車上生活者「ノマド」たちに密着したノンフィクションだ。

 家を捨て車上生活者となったノマドたちは“ワーキャンパー”とも呼ばれ、短期の雇用を求めて全米を移動する。ビーツ(赤カブに似た野菜)の収穫、国立公園のスタッフ、キャンプ場の清掃員、そしてAmazonの倉庫で短期雇用される。高齢者には身体に負担の大きい肉体労働が多く、また現役時代の経験から多くの職種や技能を持っているがゆえに単純作業も精神的に堪える。

 またAmazonは年末の繁忙期が近づくとワーキャンパー向けに「キャンパーフォース」と呼ぶ雇用プログラムで大量のノマドたちを雇う。彼らは、広大な倉庫でバーコードリーダーを手に長い時で1日12時間、自動化された集配ロボットとともに働く。彼らは床に貼られた移動用のラインを外れただけでも監督者から叱責され、ロボットと同等に扱われるのだ。

 ただし彼らは孤独ではない。

「集合場所」と彼らが呼ぶアリゾナの砂漠の街クォーツ・サイトには、冬になると全国から何万人ものノマドたちが越冬のために集まり小さな町を作り上げる。そこでは車上生活の工夫や知恵、24時間駐車しても安全な場所(ウォルマートは車上生活者に理解があり、多くの店舗が駐車を黙認してくれるという)や、全国の求人情報などを交換しあう。そこから見えてくるのは、彼らは決して貧困で苦しむ孤独な人々ではなく、相互に助けあい、現代のアメリカを生き延びようとする人々なのだ。また、インターネットを介してSNSやブログで頻繁に情報を発信することで、日頃からお互いの連帯を深めている。

 本書に登場するノマドは、不思議なほどポジティブで幸せそうなのだ。そこには自分たちは歪んだアメリカ社会を車上生活によってサバイヴする知恵者であるというプライドが見えてくる。

 あるノマドは言う。「わたしはホームレスではない、“ハウスレス”だ」と。

見えてくるアメリカ社会の現実

 ただし、著者は彼らをただ見つめ続けるだけではない。高齢女性の多さと、ほとんどのノマドが白人であることにも目を留める。

 本書によると、2015年の国勢調査ではひとり暮らしの高齢女性は6人に1人が貧困ライン以下の生活をしているという。また貧困ラインを割っているアメリカ人の高齢女性の数は271万人。男性が149万人なので、倍近い開きがある。理由は生涯賃金が男性より少なく、結果貯蓄額も年金額も少ないから。さらに、平均寿命は女性のほうが長く、少ない貯蓄で男性より長期間生活しなければならないのだ。

 また、ノマドたちは車上生活でたびたび警察官から注意を受けることもあるが、その扱いは口頭の注意だけで、なかにはオススメの観光地を教えてくれた警官もいるという。優しさといえば聞こえがいいが、これが有色人種であったら警官は同じような対応をしただろうか。車上生活が実のところ白人の特権という上にあるアメリカ社会の現実にも本書は気付かせてくれる。

 かつてアメリカンドリームという言葉があった国で真面目に働いていた彼らは、突如自分の意志とは無関係に未来が奪われた。ノマドであるラヴォンヌはブログでこう綴っている

“私の仲間は一生アメリカンドリームを追い続けたあげく、アメリカンドリームなんて真っ赤な嘘だという結論に至ったのです”

『ノマド 漂流する高齢労働者たち』は、高齢者となり車上生活を送るノマドたちが、何を失い、何を求めているのか、そしてアメリカが失ったものの正体が見えてくる一級のノンフィクションなのだ。

 本書を原作とした映画『ノマドランド』は現在日本でも公開中だ。映画はベネチア映画祭で最優秀作品賞を受賞、本年度のアカデミー賞では主要6部門にノミネートされて賞レースでも話題となっている。本書を読むことで映画をより深く感じ取ることができるので併せてオススメしたい。

文=すずきたけし

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