世界の知性が「バカ」の謎に本気で迫ってみた

社会

公開日:2021/4/18

「バカ」の研究
『「バカ」の研究』(ジャン゠フランソワ・マルミオン:編、ダニエル・カーネマン、ダン・アリエリー、ライアン・ホリデイ、ジャン=クロード・カリエール、他:著、田中裕子:訳/亜紀書房)

 メディアでは連日さまざまな「バカ」な事件や出来事が取り上げられ、インターネットではそんな「バカ」を叩くコメントがひしめき合っている。なぜ、人は「バカ」なことをしでかしてしまうのだろうか。

『「バカ」の研究』(ジャン゠フランソワ・マルミオン:編、ダニエル・カーネマン、ダン・アリエリー、ライアン・ホリデイ、ジャン=クロード・カリエール、他:著、田中裕子:訳/亜紀書房)は刺激的なタイトルだが、「バカ」をこき下ろす本ではない。世界の知性たちが行動経済学、認知心理学、情報科学、哲学、人類学ほか多角的な視点から、人間の「バカ」を徹底的に解析する、アカデミックな1冊だ。

 本書は、研究家や専門家が各々独自のテーマで「バカ」を深掘りしている。「感情的な人間はバカなのか?」「バカとナルシシズム」「SNSにおけるバカ」「バカとポスト真実」「なぜバカみたいに食べすぎてしまうのか?」「動物に対してバカなことをする人間」など、マクロ的、あるいはニッチ的なテーマで論じている。本記事では、一番手で読者をバカ論の世界へ誘う「バカについての科学研究」について、すこしだけ紹介したい。執筆者はセルジュ・シコッティ氏。心理学者であり、ブルターニュ・シュッド大学客員研究者という立場から、「バカ」を科学的に論じている。

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 氏いわく、「バカ」は信じる力に長けている。陰謀論、月の満ち欠けの心身への影響、犬にも効くとされるホメオパシー療法など、ありとあらゆることを信用する。そして、非合理的である。6の目を出すためには渾身の力を込めてサイコロを振り、ロトの番号は自分で選びたがる。ちなみに、ある研究では「知性が高い人ほど神の存在を信じない」そうだ。

「バカ」は、信じやすく非合理的である。なぜか。ある研究では「人が非合理的になるのは、まわりの状況を自分でコントロールしたい欲求に駆られるから」との結果が出ている、と氏。この欲求は、犬が玄関のチャイムを耳にするたびに「飼い主が戻ってきた」と喜んで飛び出していく、人が占いに頼る、などの例に見ることができるという。「バカ」は、まわりの状況を自分でコントロールしたくて非合理的な情報も信じるわけだが、この欲求は肥大化すると「非合理的な情報を信じて、自分がまわりをコントロールできている」という幻想をもつに至る。「占いで言われたとおりにしたから、こんな幸運に出会えた」「力を込めたからサイコロで6の目が3回連続で出た」「あの陰謀論は真実以外にあり得ない」などと因果関係が見られない情報を信じて、「バカ」は心の安定を得るのだ、と述べる。

 さらに、氏によると「バカ」ほど「後知恵バイアス」を発揮する、という。「やっぱりね、男の子だと思っていた」「ほら、そう言うだろうと思っていた」と予言者ぶりをさらすのだ。なぜ、「バカ」は「物事が起きてからそれが予想可能だったと考える」のだろうか。

 人は誰しも、自己評価を一定レベルに維持するために、自らの能力を実際より高く見積もる傾向があるそうだ。「バカ」はそれが異常に高く、自らが賢者だと信じ切っているため、先読みすら可能だと錯覚する。だから、「バカ」はしばしば海で溺れる、スキー場のコース外に出て遭難する、車をぶつけるなどの事故を起こす。また、自分の知識を基準にして他人の心理を判断する「自己中心性バイアス」も掛かると、「3回離婚した原因は3人のバカな元妻(夫)のせい」「仕事に失敗したのは同僚がみんな能なしだから」「自分の足がくさいのではなく靴下のせい」「スピード違反で捕まったのは運が悪かったせい」など、自責ではなく他責を信じて疑わないようになる。

 アメリカの社会心理学者のデイヴィッド・ダニング氏とジャスティン・クルーガー氏による研究論文によると、「能力が低い人はそのことに気づかない」そうだ。ここに「バカ」が絡むと、能力が低いくせに能力が高い人へ平気で価値観を押しつける言動が茶飯事になる。「一度も犬を飼ったことがないのに、犬を飼っている人にしつけのしかたをアドバイスする」し、「プロの料理人に対して、料理についての講釈をたれる」。さらに、弁護士になるのは法律を暗記すればいいだけだから簡単だと思うし、禁煙なんてその気になれば誰でもでき、飛行機のパイロットになるのはバスの運転手になるようなものだと持論を披露するに至る。

 さて、氏はこのように「バカ」を科学的に論じているわけだが、では私たちは自分が「バカ」にならない、または「バカ」を避けるような手立てはあるのだろうか。氏の章では、残念ながらその手立ては見つけられない。しかし、吉報もある。もし、自分の周囲は「バカ」ばかりだ、と困っている人がいるならば、その考えこそ誤りだからだ。「バカ」はそれほど多くなく、「バカ」から被害に遭う確率はごく微小なのかもしれない。氏によると、人は「ネガティビティ・バイアス」をもつ。ポジティブなものより、ネガティブなものにより注意を向け、関心を抱き、重要視する傾向がある、というのだ。猛スピードで追い越していった車を目ざとく見つけては「あの運転手はバカだ」と断定し、LINEの返信が友人からなければ「何を怒っているんだろう?」と決めてかかる。しかし、実際は、車の運転手はケガをした子どもを慌てて迎えに行っているかもしれないし、友人は電波が届かない所にいるのかもしれない。そういう想像力を働かせれば、自分の周囲から「バカ」は減るかもしれないし、自分自身がバカな言動を取ることも少なくなるだろう。

「バカ」は飲み屋で友人に向かって「今の経済危機から抜け出す方法をおれは知っている」とのたまう、と本書。日本の課題を問うてみたら、コロナ禍から抜け出す切り札を聞き出せるのかもしれない。ただ、氏は自身の章の最後に、こう述べている。「アジア人は自らの能力を過小評価する傾向が強く、とくに極東の国の人たちは、欧米人のように能力をひけらかさず、自分は何でもできると自慢したりしない」。この言葉を、私たちは真摯に受け止めたい。

文=ルートつつみ (https://twitter.com/root223