物価も賃金も停滞する「安いニッポン」の行きつく先は?

社会

公開日:2021/5/17

『安いニッポン 「価格」が示す停滞』(中藤玲/日本経済新聞出版)
『安いニッポン 「価格」が示す停滞』(中藤玲/日本経済新聞出版)

 東南アジアの多くの国々にとって、日本が豊かさへと導く教師だった時代はもはや過去のこと。今や、諸国にとっての反面教師(つまり、しくじり先生である)と格下げされていることをご存じだろうか。

 いったい日本は何をしくじっているのか。それが、この20年来、物価上昇が見込めないデフレが続いている現状、なのだという。

 単純な消費者目線だけで見れば、物価が安いことは多くの人にとって大歓迎。でも、多くの消費者が知らないのは、今の状態が続けばこの先、日本がどうなるのかという未来予想図だ。その決して喜ばしくない青写真の数々を、さまざまなアングルから映し出して見せてくれるのが、『安いニッポン 「価格」が示す停滞』(中藤玲/日本経済新聞出版)だ。

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 冒頭の日本のしくじりの現状を、本書の言葉で再度説明しておくとこうなる。

 日本の物価やサービスの価格が世界標準から見ても安い理由について、「一言で言えば、日本は長いデフレによって、企業が価格転嫁するメカニズムが破壊されたからだ」というアナリストの指摘を紹介し、本書はこう続けている。

製品の値上げができないと企業がもうからず、企業がもうからないと賃金が上がらず、賃金が上がらないと消費が増えず結果的に物価が上がらない──という悪循環が続いているというわけだ。

 単純ながらも抜け出せない負のスパイラル、沼なのである。と同時に、「物は安く買いたい、でも給料はたくさん欲しい」が叶わぬ夢であることも明確になってくるだろう。

 本書はまず、いかに日本の物価が安いかを、グローバル展開しているディズニーやダイソー、マックなどの価格比較等のデータを使いながら説明していく。

 例えば、多くの日本人が高いと感じているディズニーの入園料(8200円※)であっても、パリ(約1万800円)、フロリダ(約1万4500円)、香港(約8500円)、上海(1万円以上)と比べて世界最安値水準だ。

 しかも、パリやフロリダ、上海は需要に応じて価格が変動するダイナミック・プライシングを導入しており、ここに掲載した価格よりも高い日もあるという。

(※2021年3月20日以降、東京ディズニーリゾートの入園料もダイナミック・プライシングが導入され、8200円〜8700円となった。また、各国の入園料は本書のデータを引用)

 また、こんなエピソードも紹介されている。タイの大戸屋では、日本で約900円のホッケ定食が、その約3倍の値段なのにもかかわらず、ヘルシーで美味しいと大人気なのだそうだ。

 前述のように、高いサービスや商品でも需要があるのは、その国では国民の所得が増えているからに他ならない。そこで次に本書は、なぜ日本では給料が上がらないのか、その構造を他国と比較しながら分析していく。

 そこに見えてくるのは、年功序列や横並び昇給といった、時代遅れの日本型賃金制度が未だ多くの企業に横たわっている現状だ。

 本書は、こうした状況では、海外から優秀な人材を雇用できず、国際競争力を失っていくことを指摘する。その打開策として「ジョブ型雇用」「役割型雇用」「ロール型雇用」など、新たな提案もいくつか記されているので、興味のある方は本書で学んでみてほしい。

 さて、このまま安いニッポンが続くとどうなるのか。本書がまず指摘するのが「買われるニッポン」だ。

 その筆頭として紹介されているのが、北海道のニセコ地域である。外資マネーの流入により、この一帯は多くの外国人が拠点を構え、物価も外国レベルなのだという。

 次いで紹介されるのが、優秀な技術を持った中小企業の相次ぐ買収の事例だ。外資マネーの触手は、製造業分野の技術ばかりではなく、日本のお家芸ともいうべき、アニメ技術やアニメーターたちにも伸びている。

「市場が拡大する中国にとって、日本のアニメーターは喉から手が出るほど欲しい。日本の年収の3倍でも軽く出せるので、今後も中国勢からの人材引き抜きは激しくなるだろう」(帝国データバンク飯島大介)

 こうしたコメントとともに、本書は、中国系企業やネットフリックスなどが、いかに日本の優秀なアニメ技術と人材を手中にしようとしているかをレポートする。

 買われるニッポンはまた、「買い負けるニッポン」でもある。

 本書は、国際競争力を失いつつある日本が、優秀な人材ばかりでなく、「魚さえも買い負ける」現状を伝えている。

 世界的な和食ブームや健康志向から、水産物の世界相場が上がっているため、その相場についていけない日本が買い負けているのだ。わかりやすく言えば、今後、日本人の口に入りにくくなる水産物が多数出てくるということで、サーモン、ロブスター、タコはその筆頭なのだという。

 さて、こうしたデフレ社会からの脱却といった大きな問題については、個人レベルで何ができるか、思いあぐねてしまう部分はある。

 ただ、「安いニッポン」の現状とその未来を本書から学ぶことで、「安ければそれでいい」は、必ずしも正解ではないことが理解でき、価値観に変化の余地を与えてくれるはずだ。

 そしてまずは、値上げと聞くと即「反対!」となる前に、一歩立ち止まって、そうしなければいけない構造的な背景を理解してみることからはじめてはいかがだろうか。

文=町田光

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