「役に立つ」とはどういうコト? ぜひ“推し研究者”を見つけてほしいその理由

科学

公開日:2021/8/31

「役に立たない」研究の未来
『「役に立たない」研究の未来』(初田哲男、大隅良典、隠岐さや香、柴藤亮介/柏書房)

 新型コロナウイルス感染症ワクチン接種担当大臣である河野太郎が、4月末にテレビの情報番組において、国産のワクチンが早ければ年内にも承認される見通しと語った。日本での開発が遅れているのは、国が予算を投じていないからという批判もあったけれど、税金は国民から徴収されるものであるから、国民がそれを許容しなければならない。もちろん、ワクチンのためならば認めるという人は多いだろう。でもそれは、「役に立つ」と確信しているからで、果たしてワクチンの必要性も有用性も分からない時点で支援しようとする人は、どれだけいるだろうか。『「役に立たない」研究の未来』(初田哲男、大隅良典、隠岐さや香、柴藤亮介/柏書房)を読み、そんな疑問が湧いた。

 本書は、新型コロナウイルス禍に見舞われた2020年の8月22日に行なわれたオンライン座談会をまとめたもので、ナビゲーターを務める柴藤亮介氏は「日本初の学術系クラウドファンディング」を立ち上げた人物である。座談会には、理化学研究所の初田哲男氏と、大隅基礎科学創成財団の理事長である大隅良典氏に、日本学術会議連携会員の隠岐さや香氏の3名が出席した。そして、ページをめくった最初に「推(お)し研究者」はいますか、と問いかけられたのには正直、面食らった。

基礎研究は、いつ日の目を見るか分からない

 初田氏は基礎研究の常識として、長期的視点の必要性と多様性が本質であることを語り、その中で「ヒッグス論文の引用回数」を事例として挙げていた。論文の価値を測る基準の一つとして、他の研究者からどれほど引用されたかというのがある。物理学者のピーター・ヒッグスは「ヒッグス機構」という理論をつくり、「ヒッグス粒子」の存在を予言したのだが、提唱した1964年から約50年間は引用されても1年間に100回を上回ることは無かった。ところが、2000年代を過ぎてから引用回数が急激に増え、400回を超えるようになった2012年にヒッグス粒子が欧州原子核研究機構(CERN)によって観測されるに至り、翌年に彼はノーベル賞を受賞した。発表当初は彼の理論を気に留める人が少なかったものの、後続の科学者の中から興味を持つ者が現れ、研究を続けたからこの成果に辿り着いたのだ。そのヒッグスにしても、考え方のルーツは1911年に物理学者であるヘイケ・カマリン・オンネスが発見した、金属の超伝導現象にあるという。実になるまでの時間や道のりは途方もないものである。

advertisement

「選択と集中」そして「説明責任」

 大隈氏の財団では研究費を助成するにあたって、申請書に「自分の発見した生理現象」にもとづいて提案するようにという制限をかけている。それは、「自身でオリジナルに発見した“何か”をさらに展開したい」という人を支援するためだ。ところが現在の日本は、役に立ちそうな研究を「選択」して、最初から実りのありそうな分野に予算を「集中」する政策をとっている。そんな日本の問題点として、大隈氏は「科学(サイエンス)」と「技術(テクノロジー)」を区別せずに「科学技術」という一つの言葉に括っていることを指摘していた。先述したヒッグス粒子の件で云えば、科学が先行して予言したとしても、それを検証できる技術が発展しない限り、机上の空論として扱われてしまうということである。

 また、いつの頃からか各方面で問われるようになった「説明責任」の問題もある。公的資金を受けるからには、その研究の価値を説明できなければならないというもの。至極もっともな考え方ではあるものの、大隈氏によれば新型コロナウイルスのような事態を考えても、ウイルスの研究者は研究費を得られないのが現状だそう。何故なら、ワクチンや治療薬をつくる以前の基礎研究の段階では、有用性の証明などできないからだ。

国家戦略とマネジメント

 隠岐氏の、“科学はいつから「役に立つ/立たない」を語りだしたか”という、歴史的な視点は特に興味深く感じた。古代ギリシャ・ローマ時代のラテン語における「有用性」という言葉は、英語に訳せば「utility」となるが、哲学者キケロ(前106~前43)が書いた本を読み解くと「共同体の繁栄の役に立つ」という「公共善」を意味し、日本語の「役に立つ」より広く捉えることができるのではないかと述べている。そして、西欧の主要都市において、研究機関であり学会でもある国家機関的なアカデミーが設立されると、その運営資金は国王や貴族から出資されるため、研究者たちは研究内容をアピールしなければならなかった。でも、そのアピールの仕方は実用一辺倒ではなかったようだ。船がつくれるだとか、正確な地図がつくれるといった「短期的かつ物質的な有用性」を説く一方で、フランスのパリ王立アカデミーの初代終身書記だったベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネルは、「好奇心をくすぐる以外の何物でもない」面白さがあるとも語っていたという。現代の感覚で云えば、貴族階級に「いいね!」を付けてもらい、継続的な援助を受けようとしていたというところか。

「役に立つ/立たない」は問われる機会が多いことかもしれないが、研究というものの性質を考えれば、成果をすぐに出すことは難しい。それでいて、クラウドファンディングですら見返りを提示しての資金集めであることを考えると、もっと手前の、それこそ推しの研究者を見つけて個人が応援するというくらいの感覚が必要なわけで、今はまさに、それを税金・公的なお金でも許容できるのかが問われているのではないか、と考えさせられた。

文=清水銀嶺

あわせて読みたい