アニメにヒントをもらい「わからない」を楽しむ――慶應大教授がコロナ以降に必須のマインドセットを説く

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公開日:2021/11/4

わからないまま考える
『わからないまま考える』(山内志朗/文藝春秋)

 出来事、それも、未曾有の出来事が目の前で起きていて「どうしていいかわからない」と呆然と立ち尽くす。2000年代はじめにはアメリカ同時多発テロ事件、2010年代はじめには東日本大震災および福島原発事故、そして2020年代はじめには新型コロナウイルスのパンデミックが、約10年周期で人々を「どうしていいかわからない」状況に立たせてきました。

 ご紹介する『わからないまま考える』(山内志朗/文藝春秋)は、そうした事態が再来しても、サイクルが早まろうとも、ただ立ち尽くすだけしかできない苦痛を解消してくれる一冊です。本書は、雑誌『文學界』で2019年から2021年にかけて掲載された「倫理のレッスン」という連載に基づいていて、慶應大学文学部教授の著者は、哲学・音楽・小説・アニメなど、様々なジャンルの作品を、現実の生活とどのようにまじりあわせるかという点を論じています。

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 特に多くページが割かれているのは、いわゆる「セカイ系」のアニメ作品についてです。本書では、『エヴァンゲリオン』『君の名は。』『天気の子』などが挙げられています。「セカイ系」の本書では定義が明確にされていませんが、本書の記述とネット上の情報から筆者が代わりに定義してみると「孤独、他者を求めている、正体のわからない敵と戦っている等のイメージを軸に、主人公の少年・少女たちが、社会活動範囲をそれまでと同等に保ったまま、『世界の危機』という巨大な問題に立ち向かう」というような傾向を持ったストーリーのことと考えます。著者は「生きているうちに文明崩壊の可能性に直面するかもしれない若者たちの驚きと危機感の現れ」と「セカイ系」の作品のことを評しています。

「異常気象と嵐の中で」という章で新海誠監督の『天気の子』を論じる際に、著者は「予型」というキリスト教の思想を持ち出します。

予型とは過去の記憶の中にあったように感じながらもなかったもので、でも出会うとこれがそうだと確認できるための装置であり、未来の中の記憶なのだ。『天気の子』もまた現代における予型の姿、未来がどのように進んでいくのかということの未来からのメッセージのあり方を示してくれる物語なのである。

 端から「夢・理想・理念・目標」を目指すと、大事なことが抜け落ちてしまうと著者は主張しています。なぜならば、そう考える場合、「型」が常に未来にあるため、「今」の自分にとっては届かない存在となってしまうだけでなく、未来においては届いた場合と届かなかった場合で落差が生じてしまうためです。

「予型」は、文字が示す通り「夢・理想・理念・目標」などをおさめる「型」は、予め準備されているのだという考え方です。ただし、それがどんな形をしたどんな内容の「型」なのかは、それらが立ち現れてきて初めてわかるという点に違いがあります。

「型」が常に未来にあるという考え方。「型」が過去から常に自分を追随してきていて、いつかの「今」に立ち現れてくるという考え方。前者よりも後者は多様・有機的になります。

 惑いながら迷うのではなく、迷いを当然のものとみなして、今この瞬間を推進することを考える。つまり、自分の人生における「作る」側面と「作られる」側面のバランスをよく見極めて、気苦労なく上手に迷うことを本書は推奨しています。

たとえば、おいしさや喜びは言葉になりにくい。コンサートでの楽器の響きに感動するとき、「分かる」という思いは余計だ。そのとき心は意味を担うという仕事を免れている。「なぜ」という問いに苛まれることがない。
「なぜそうするのか」と人が問うとき、その行為の意味や目的を答え、それを達成することで報われるということがある。意味の道筋が現れる。苦労のし甲斐も出てくる。だがそのとき、本人は意味の囚われ人になっている。

 巻末におすすめの作品とその概要が記されたブックガイドも附記されている本書は、未曾有の出来事が度々起きてきたこの何年かと、コロナ以降の未来をあわせ考えるのにピッタリの一冊です。

文=神保慶政

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