日本に蔓延する「自己肯定感ハラスメント」から抜け出す方法

社会

公開日:2022/3/8

自己肯定感ハラスメント
『自己肯定感ハラスメント』(辻秀一/フォレスト出版)

 近年、「自己肯定感」という言葉をよく見聞きする。「日本人は自己肯定感が低いのが問題だ」「だから自己肯定感を高める必要がある」という論調が主だ。しかし、「自己肯定感」を持ち上げすぎるのも問題なのかもしれない。

「○○ハラスメント」という言葉のバリエーションが増えている。「パワハラ(パワーハラスメント)」「セクハラ(セクシュアルハラスメント)」「モラハラ(モラルハラスメント)」「アルハラ(アルコールハラスメント)」などに加え、近年ではリモートワーク中のハラスメント「リモハラ(リモートハラスメント)」や、男・女はこうであるべきだと強いる「ジェンハラ(ジェンダーハラスメント)」などもよく取り上げられる。ここに、「自己肯定感ハラスメント」が加わるかもしれない。

 日本に「自己肯定感ハラスメント」が蔓延しつつある、と警鐘を鳴らすのは、スポーツドクターとしてアスリートたちのメンタルサポートに携わる著者による『自己肯定感ハラスメント』(辻秀一/フォレスト出版)。本書は、社会における自己肯定感への執着と、その至上主義の風潮を危険視している。

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 本書によると、自己肯定感は「自分の外側にある条件や評価・常識・比較などによってつくり出されるもの」である。つまり、「自己を肯定していこう」という考え方は、自分以外との比較や評価の上に成り立つため、生涯にわたって肯定し続けることは難しく、外との競争の中で次第に生きづらさが生じてくる。また、他者への否定によって自己肯定感が満たされるケースもあり、それがハラスメントやいじめ、誹謗中傷やヘイト主義なども生み出している、と述べる。

 例えば、上司によるパワハラは、上司が自己肯定感を維持あるいは高めるために、地位への肯定感がそうさせるもの。「偉い、偉くない」「地位が高い、高くない」という情報が、この上司の自己肯定感にとって重要、というわけだ。友人知人との会話やSNSでは、マウンティングしたり正義というなたを振りかざしたりして自己肯定感を高めようとする、というロジックだ。そして今、日本では社会全体にわたって「自己肯定感を高めなければならない」「低いのはダメ」という概念の脅迫・ハラスメントがはびこっている、と本書は警鐘を鳴らしているのだ。

 上下や優劣などヒエラルキー思考を伴う自己肯定感への執着は、一方で否定の世の中をも生み出すのではないだろうか。

 そこで本書が提案するのは、「自己肯定感」に替えて「自己存在感」に着目すること。本書によると、自己肯定感は“(評価や比較などによって)高める”ものである一方、自己存在感は“持つ”ものであり、ここに評価や比較は必要ない。外と比較せず、自分の中に“ある”物事を大切にするため、生きづらさも否定も生み出さない、という。

 自己肯定感と自己存在感の違いは、似たような意味でも、次のように違ったワードで表現される。
(左が「自己肯定感」を表現/右が「自己存在感」を表現)

・高める/持つ
・目標/目的
・夢/志
・がんばる/あるがまま
・得意/好き
・Doing/Being
・自信/信じる

 本書によれば、「目標」は外にあって目指すものであり、「なぜその目標を目指すのか?」という「目的」は自身の中にあるエネルギー。これを考える習慣が大事になる、という。「夢」「がんばる」「得意」も、やはり外からの評価や外との比較で生まれるが、「志」「あるがまま」「好き」は自分の中に、ただ“ある”。「Doing」は外に何を働きかけるかが問われ、「Being」はどうありたいかを見い出す。そして、「自信」は結果を出すことによって積み重なり得られる心の状態であるのに対し、「信じる」ことは自分次第、となる。

 自己肯定感の大切さは学校で教わるが、自己存在感については学ぶ機会がないため、自分で培っていく必要があると本書は説く。本書の巻末では、

・自分が「不機嫌」よりも「ご機嫌」だと、どんな自分になるのか、ご機嫌の価値を1週間に1回10個以上書き出してみる

など、「セルフで自己存在感を育む練習」が14個、紹介されている。

 自分を幸せにするはずの「自己肯定感」にどこか苦しさを感じている人は、本書で光明の鍵を得られそうだ。

文=ルートつつみ (@root223

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