運命の一節/【吉澤嘉代子 エッセー連載】ルシファーの手紙 #1

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/25

 私は幼稚園児時代に居酒屋でアルバイトをしていた。酔っぱらいの客にも慣れたもので「可愛い子ちゃん」「ヒューヒュー」とからかわれても、愛想よくあしらいテキパキと配膳するので店の信頼は厚かった。

 他の従業員には内緒で「せっちゃん」という、同じくアルバイトの幼稚園児と交際していた。仕事をこなしながら、時折目配せして恋人同士の合図を送りあうのが楽しい。私たちは愛しあっていた。

 そんな夢を子供の頃にみた。ただの夢なのに目が覚めても恋は醒めず、私はその日から彼を探した。園で彼らしき児童を見つけると木陰に呼びだして「せっちゃんなの?」と訊ねたり、母の友人の子供が家に来ると「せっちゃんだよね?」と詰めたり。わんぱく盛りの男子たちは当然私を相手にせず、棒を振り回したり叫んだりしていた。

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 それでも「せっちゃん」の存在を心から信じていた。この世界のどこかにきっといる。夢から飛び出した私の運命の人。

 それからしばらくして出会った『ダ・ヴィンチ』が本の世界を広げてくれた。その中で目に留まったのが穂村弘さんの『もしもし、運命の人ですか。』という連載だった。歌人にもエッセーにも縁のなかった私が一瞬で惹かれてしまった、ある種の人間を熱狂させる引力のあるタイトル。

 読んでみたらもう大変。くすりと笑ってしまうおかしみの中に鋭い批評性がひそんでいる。他人から見たら取るに足らないようなことを本気で悩んだり迷ったりしている姿に「私と同じような目で世界を見ている人がこの世にいるんだ」と、今思えばあまりにも大それた共感があった。そんなはずは絶対にないのだけれど、このおもしろさは私しか知らない気がした。まるで一人きりの読者になった気分で、中学生の私はたちまちほむほむにほの字。短歌への扉は開かれた。

 それでも『もしもし、運命の人ですか。』というタイトルが、例えば『もしもし、君ですか。』や『恋愛にまつわるおもしろ話』とかだったら。私はこの素敵なエッセイを見つけられなかっただろう。名前は何よりも大切な目印なのだ。

 大人になって音楽を仕事にした私が、穂村さんと一緒に「ルシファー」という歌をつくったのは運命と言えるのかもしれない、なんて思う。初めてラジオのゲストで穂村さんをお迎えした日に。遡れば学生時代に音楽を始めた頃に。あるいはあの時『ダ・ヴィンチ』を手に取った瞬間から決まっていたようにも思う。

 どんな手を使ってでも会いに行ったんじゃないか。まるで前世の恋人に辿りつく気持ちで。

 堕天使と運命の恋に落ちるこの歌は、穂村さんと一行ずつ書いた。穂村さんからは私には絶対に思いつかない、でもまるで自分が書いたようなフレーズが送られてきた。歌の最後には、愛するルシファーから生涯に一度だけの手紙が返ってくる。それをこの連載のタイトルにしようと思う。

 言葉によって人は簡単に生かされたり殺されたりする。誰でも使えるからこそ、世にも優しくて恐ろしい記号。「運命」なんて言えるほど、人生はドラマチックじゃない。幸福に輪郭はないし、地獄は日常の中にある。

 寂しかった幼少期に「せっちゃん」という小さな恋人を編み出したように。生きるために必要だった言葉を、私が「運命」ということにしてたぐりよせたのだと思う。

 ルシファーの手紙。生まれたからにはどうしても見つけていただろう、そんな運命の一節について話そう。

 子供の頃の私へ。あなたが夢中になって読んでいる『ダ・ヴィンチ』での連載が始まりましたよ。

吉澤嘉代子

<第2回に続く>

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吉澤嘉代子

1990年6月4日生まれ。埼玉県川口鋳物工場街育ち。2014年デビュー。2017年にバカリズム作ドラマ『架空OL日記』の主題歌「月曜日戦争」を書き下ろす。2ndシングル「残ってる」がロングヒット。2021年1月にテレビ東京ほかドラマParavi『おじさまと猫』オープニングテーマ「刺繍」を配信リリースし、3月に5thアルバム『赤星青星』をリリース。同年6月には日比谷野外音楽堂での単独公演を開催。9月に初のライヴブルーレイ「吉澤嘉代子の日比谷野外音楽堂」をリリース。2023年7月に『アイスクリームフィーバー』主題歌「氷菓子」をリリース。11月には「青春」をテーマにした2部作の第1弾 EP『若草』をリリース。 2024年3月20日には第2弾となる EP『六花』のリリースも決定している。