それは化繊か、天然か/きもの再入門③|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2023/12/15

きもの再入門

それは化繊か、天然か

 ずっと“素材”がわからなかった。

 これでも着付け教室の師範コースに通っていたとき、絹についても勉強した。座学があり、生糸を精練するときは不純物のセリシンを除去……などとノートにとってみっちり学んだのだ。しかしそれでも、わたしは依然として、絹とポリエステルの見分けがつかなかった。着付けの先生たちが、きものをちょっと触っただけで「いい結城紬ね」なんて言い当てるのを、きょとんとして見ていた。なんでわかるんだろうと首を傾げた。いくら説明されても、天然繊維と化学繊維の違いが、二十九歳のわたしには全然わからなかった。

 

 着付け教室の師範コースで学ぶ同級生は、多くが子育てを終えた裕福な奥さまだった。現役のCAさんだったり、日本語教師をされていたり、働いている女性もいる一方で、専業主婦さんも多かった。結婚したばかりという三十代半ばくらいの、落ち着いた女性も数名いた。それぞれがそれぞれの理由で、着付けを習いに来ていた。

 未婚で二十代なのはわたし一人。ポリエステルきものを堂々と着ているのも、わたし一人。師範コースは行事も多く、みんなできものを着てお出かけするイベントも度々あった。横浜の有名店でランチしたときの集合写真を見ると、わたしだけがはっきりした色合いのきものを着ていて、奥さまたちのきものは一様に、ぼんやり淡い。言い方を変えると、わたしのきものは色味がどぎつく、奥さまたちのは上品だった。しかしわたしはその写真を見ても、自分のきものだけがかわいくて、奥さまたちのきものはダサいな、と思っていた。

奥さまたちの助言

 正直、奥さまたちの選ぶきものは、なにがいいのかわからなかった。あまりに地味だし、どれも同じように見え、全然そそられない。しかも値段はポリエステルきものの十倍はくだらないという。なんでそんなもん買うんだろう。もっとかわいいきもの買えばいいのに。

 二十九歳のわたしにとってかわいいとは、バラの刺繍だったり、猫の模様だったり、ピンクだったりした。きものを洋服の延長でとらえつつ、それでいて雑貨的な“かわいい”が盛り込まれた柄にそそられた。そういうきものを見ると強火で物欲がそそられ、気がつけば狭いアパートの収納ケースは、安易に手に入れたもので、なんだかごちゃごちゃしていた。

 

 あるとき、こんなことがあった。

 着付け教室の併設のショップでは、草履や帯なども売られている。新入荷の商品を見せてもらっていたとき、「これかわいい!」とわたしは飛びついた。黒地にマッチの模様が、お太鼓の部分にちりばめられている名古屋帯だった。マッチの先っぽの赤が、黒地とコントラストになってとてもかわいい。「かわいい」を連呼しながら、決め手に欠けるなぁと迷っていると、着付けの先生やまわりの奥さまたちが、「こっちにしておいた方がいい」と、白地の帯をすすめてきた。

 それはややクリームがかった白地で、お太鼓と胴の部分に、なんだかよくわからない、小さい植物が描かれていた。なんていう柄ですかとたずねると、先生は萩だと言った。

「萩ぃ~?」

 わたしは眉間にしわを寄せながら、ちょっと小バカにした笑いを浮かべていた気がする。だって萩ですよ? ていうか萩ってなんだ? どんな花だ?

「えー……」

 渋るわたしに、先生と奥さまたちは切々と言った。この萩の帯は、ずっと使える。どんなきものにも合う。とても便利だから、どうせ買うならマッチではなく、萩にしておいた方がいい。悪いこと言わないから、そうしなさい。

 

 おっしゃる通りだった。

 わたしのきものワードローブの中でも、このとき買った萩の帯は、屈指の稼働率を誇る。とにかくどんなきものにでも合う。萩は季節でいうと夏~秋の植物で、その時期に着るのが基本ルールだが、かなりシンプルに文様化されているので通年でOKってことにして、とにかくよく締めている。困ったら萩。別に好きじゃないけど。

 あのときもしマッチ柄の帯を買っていたら、こうはいかなかっただろう。

違いがわかってきた

 別のあるとき、こんなことがあった。

 ポリエステルの浴衣を着て花火大会に行った帰り道。辺りは客で混雑し、会場から駅までは遠く、脚もくたくた。ひーこら言いながら歩いていると、なんだか足が痛い。くるぶしの少し上あたりだ。さては虫にでも刺されたか? 立ち止まって患部を見ると、横線を引かれたように赤くなっていた。ん? これはもしや。

 その部位はちょうど、浴衣の裾が当たる位置だった。つまり歩いているうちに、裾が同じところに当たりつづけ、皮膚が赤くなるほど擦れてしまっていたのだ。痛みをこらえきれず、わたしは裾をちょっとまくって肌襦袢をあらわにしながら、しょぼくれた気持ちでとぼとぼ歩いた。

 

 真夏にポリエステル浴衣でお出かけするのも最初のうちは楽しかったが、だんだん手が伸びなくなった。汗でべっちょりしたときの感触が苦手になり、どうしても避けてしまう。代わりに着るようになったのは、祖母が買ってくれた綿コーマの浴衣だった。

 素材は綿コーマでも染料はケミカルなので、色鮮やかで柄行きも楽しい。値段もそれほどお高くなく、ポリエステル浴衣より断然安い。それでいて、とても着心地がよかった。

 じめじめした暑さで着る綿コーマは、湯上がりに羽織るバスローブのごとし。汗をぐいぐい吸ってくれるので、べっちょりはせず、放湿性もあるらしくサラッとしている。

 

 一度、盆踊り大会に行って踊りまくった帰り、あまりにも汗をかいたので居ても立っても居られず、銭湯に駆け込んだことがある。ひとっ風呂浴びてさっぱりした体に、汗で濡れた下着を再びつけるのは拷問のよう。そこでわたしは、もう夜で人にも会わないだろうと、人生初の大胆行動に出た。素っ裸の上に直で、綿コーマの浴衣を着てみたのだ。

 あああああああ~~~~~

 なんて気持ちがいいんだろう! トリビアとしては知っていたけれど、たしかに浴衣は、湯帷子。これは風呂上がりに着るものだ。湯船に浸かってぽかぽかになった体に、さらっと一枚で着るものだ。パンツぅ? 和装ブラぁ? 肌襦袢んんん? そんなもんいらねえ! 素肌に綿コーマ最強! わたしは鼻歌を歌いながら帰った。

 

 そんな経験を重ねるうちに、だんだんわかってきた。正絹とポリエステルの違いが。それぞれの特性や、風合いや手触りが。シャリ感やツヤや光沢が。それから、「見て見て!」と大声でアピールするような一発芸的な柄をかわいいと感じる感性の、短命さも。

 二十九歳から三十五歳になる間に、わたしはまったく別の趣味の人間に生まれ変わっていた。上質なものを好む、わりと本物志向の人間に。安くてかわいいものには見向きもしない、大人の女に。
 我、かわいいよりもきれいを尊び、ポップよりシックを愛す。

<第4回に続く>