「まともな人間なんていない だからあなたも大丈夫」道草晴子さん×佐々木ののか対談【読書日記3冊目】

文芸・カルチャー

2019/7/23

 会社を辞めて半年ほど経った2015年の秋だっただろうか。下北沢の気流舎という本屋で、ある一冊のマンガに出会った。そのマンガとは、道草晴子さんの『みちくさ日記』(リイド社)。著者である道草さんが自身の半生を基に描いた実話である。

 描かれていたのは、13歳でちばてつや賞を受賞してすぐに精神科病院に入院することになり、その後15年間にわたって入退院を繰り返しながらも人とのふれあいの中で、徐々に再生していくというストーリーだ。扱っている話題はヘビーなのに、ゆるいタッチで描かれた絵と淡々としたトーンに、申し訳ないと思いながらも笑わされてしまう。

 会社を辞めて社会のレールから外れ、ライターを名乗ることにもようやく臆しなくなってきた当時の私は、それでも呼吸しているだけで後ろめたくなるような気持ちがあった。けれど、『みちくさ日記』に出会って、そういう自分をもほんの少しだけ肯定してあげられた気がしたのだった。そういう意味で、この本は私にとっての立ち帰る“場所”のひとつになっている。

 読書日記を始めることになったとき、この本のことを思い出して、道草さんにお礼を伝えたいなと思った。そして、あれから4年の月日が経って、表現者の端くれとして「道草さんにとっての創作とはどういうものなのか」を訊ねてみたくなり、インタビューを申し込んだのだった。

「誰かの添え木になることで生きる道を見つけているのかもしれない」

佐々木ののか(以下、佐々木):道草さんがマンガを描き始めたのは、中学生の頃でしたっけ?

道草晴子さん(以下、道草):そうですね。元々マンガが好きで、たくさん読んでいたんですよ。ちばてつや先生のマンガもですけど、手塚治虫先生も、高橋留美子先生も、つげ義春先生も、サブカルチャーっぽいマンガも、ありとあらゆるマンガを読んでいたので表現手段として身近なものだったんですよね。そうしたら、ちばてつや賞を受賞したんです。

佐々木:中学生で、ちばてつや賞。鮮烈なデビューですよね。

道草:ただ、作中にもあるんですけど『みちくさ日記』を書くまではものすごく長いブランクがあって、精神科病院に入院している間もなかなか描き出せなかったんですよ。

 それでも描き始めたのは、自分の体験を人に伝えたいっていうのが一番大きいのかな。自分自身も生きづらさはあるんだけど、マンガを描いて誰かの添え木になることで生きる道を見つけているようなところもあるのかもしれないですね。やっぱり、描くことで生きられているというか。

佐々木:時期としては、脱腸になった頃にマンガを描こうと決心したと作中に描いてありましたよね。作品を拝読する限り、道草さんはそれまでもいろんなつらい経験を何度もされているのに、どうして脱腸になったことがマンガを描こうという強い原動力になったのか。何か理由があるんですか?

道草:2つありますね。ひとつは担当してくれた先生が「底をついたからあとは上がるだけですよ」って言ってくれたこと。もうひとつは、病室が一緒になった患者さんたちですね。

佐々木:患者さん?

道草:外科と精神科が一緒になった病棟だったので、身体の病気も精神疾患も抱えている80歳くらいのお年寄りがたくさんいたんです。その人たちが寄ってたかって「こんなところ長くいちゃダメだよ、まだ若いんだから」って、みんなすごく親切にしてくれて。

 そのとき私は29歳で、学歴もなくデイケアに通う日々で「自分の人生はもう終わったんだ」、そう思っていたんです。だけど、入院先でおじいちゃん、おばあちゃんに「あなた、まだ若いんだから人生これからね」とか「これからなんでもできるよ」って励ましてもらって。その人たちは、実際にこれからなにかやりたいと思っても難しい状況にあって、それなのにやさしく私を励ましてくれている。29歳の私は、「人生終わったんだ」なんて何を言っていたんだろうって気付かされたんです。精神科病院に入院し、29歳まで病院に通い続けてそこから抜け出す勇気が出なかったんだけど、このときはじめてもう「ここから出よう」と思ったんです。そして再びマンガを描き出しました。ドゥフフ、ドゥフフ。

佐々木:笑っていいのかわからないですけど(笑)。

道草:でも、本当に、私だけじゃなくてみんな「ここまで人生がこうだったから今後もきっとこうなっていくんだ」と思考停止しがちなんじゃないかなと思うんですよね。不登校になったら終わりだとか、精神疾患になったから終わりとか。

 でも、そこから全然違う方向に人生が進むこともあるし、実際に私は行動を起こしてみて良い方向に行ったので、そういうこともあるよっていうことが伝えたかった。脱腸してよかった。ドゥフフ、ドゥフフ。

「厳しい視線に追い詰められて死んでしまう人がいるから」

佐々木:『みちくさ日記』に私が救われた理由のひとつは、“変わった”人たちへのやさしいまなざしなんです。作中にもいろいろな方が出てきますよね。精神病棟で警備員さんがいたと思ったら自作の警備服を着た患者さんだったとか、膨大な髪の束が落ちていて「幻覚かな」と思ったらめちゃくちゃ髪の長い患者さんだったとか、街で出会って付き合ったおじさんの正体が捜索願いを出されていた犯罪者だったとか(笑)。

 ともすればギョッとして距離をとりたくなるかもしれない人たちや現象にも、フラットに向き合っているところが好きだなぁと思って。それは道草さん自身のスタンスなんでしょうか。それとも、作風なのでしょうか。

道草:世の中の人って、そういった人たちに厳しい目を向けがちですよね。「引きこもりだから」とか、「この人はもうダメだ」とか思う人は多いし、厳しいまなざしで描く作品も多い。そういう視線に追い詰められて死んでしまう人がいると思うし、私はそんな厳しい視線が嫌なんですよ。だから、あえてこういう作品を描いているのかも。

 おじさんは俳優の柄本明がすごく好きでした。『私立探偵 濱マイク』に「1分間700円」という回があって、神父役の柄本明が殺し屋役の浅野忠信を追いかける話なんですね。おじさんはそれを何度も見て、その度に「神様は許してくれる」と繰り返し呟いていて。この人、何でこんなに神妙な顔をしてるんだろうと不思議だったんですけど、今にして思えば、あのとき、自分も警察に追われてたからだったんだなぁって。ドゥフフ、ドゥフフ。

佐々木:確かにそれ、めちゃくちゃおもしろいですね(笑)。

道草:今の時代はむしろ競争から零れ落ちたり、どうしていいかわからなくなったりして立ち止まっている人の数が多いですよね。だからこそ、零れ落ちた人たちに寄り添うことが必要だと思うんですよ。自分が勝ち組になることとか、お金持ちになること、出世することしか考えていない人の気持ちが少なくとも私にはわからないです。あんまり話がね、通じないっていうか。

佐々木:でも、どうして厳しい視線を向けちゃうんでしょうね。それはまわりまわって自分をも締め付けることになるのに。

道草:私はわからないですね。誰しも挫折はあると思うんだけど、挫折の程度が少ない人はそうなるのかな。程度がすごいからな、私は(笑)。それにね、ちゃんとした人なんてそもそもいないんですよ。

佐々木:どういうことですか?

道草:私も精神科病院に入院しているとき、「完全な正常を目指さなきゃ」と思っていたんですけど、友達とかを見ていてもやっぱりそんな人いないし。精神科にかかっていない人や一般的に社会的地位がある人でも、どこかおかしかったりするし。

 どっちがいいとか正しいとか勝ち負けとかじゃなくて、その人それぞれの色やメロディを大切にしたいという価値観をもって作品を描いています。

「私の人生は私にしか描けない」

佐々木:道草さんご自身は『みちくさ日記』でも2作目の『下北日記』でも、ご自身の体験をベースにして描かれていますが、それにはどんな理由があるのでしょうか?

道草:心情の吐露とか、私小説みたいなスタイルをマンガでやりたかったんじゃないかなと思います。他人のことを見るのは誰でもできるんだけど、私自身が感じることとか、私の人生っていうのは私しか知らないじゃないですか。もちろん、私以外の人もその人にしかわからない人生や物語がある。

 みんなが私に興味があるとはもちろん思わないんだけど、私自身のことは私にしか描けないから描いているというのはありますね。

佐々木:自分について描写するのを誰にも任せたくない、という感覚は私にもありますね。ただ、私自身が作品を出すときに自分を書くことについて批判的な意見をいただくこともあるのですが、道草さんはそういった批判が来ることはないですか?

道草:私はあんまりないですね。まぁたまに知らない人にキツいこと言われたりするのはツラいですけど、それでも読んでくれて救われてくれる人はいるので。私が死んでも作品は残るし、私がボコボコになっても読み手の方は作品と対話できるじゃないですか。それが救いだなと。

佐々木:インタビューなのに勇気づけていただいたような気持ちです(笑)。道草さんにとっては創作って、ひとことで言うとしたらどういう位置づけなんでしょうか。

道草:生きていることってよくわからないじゃないですか。不確かで、何をやっているかわからないけれど、マンガに描いていくとそれを刻み付けられて安心します。単純に楽しくて救われる。あとは、読者の方に手紙を書いている感覚もありますね。

佐々木:道草さんの作品は大多数の方に届けるというよりは、範囲は広くなくても届くべき人のところに届けられている気がしたので、「手紙」という言葉はしっくり来ました。

道草:範囲は広くない……どういうことですか? 『ONE PIECE』みたいな作品じゃない、ってこと?

佐々木:どちらが良いとか悪いとかではなく、でも、そういうイメージですね。

道草:確かに『ONE PIECE』ほどたくさんの人に読まれているわけではないですけどね(笑)。それでも、手に取ってくれた人は深く読み込んでくれる方が多くて「これで前向きに生きようと思った」とか言ってくれるのでうれしいです。

佐々木:私もそのひとりです。最後に、読者の方に向けてひとことお願いできますか。

道草:私も社会のレールから外れて、他の人とは違う人生を歩んできたけど、人との出会いや関わりがあったから良くなっていったという経験があって。悩んでいる人って閉じこもっちゃいがちだと思うんだけど、少しずつでも外に出て行ってほしいなというのは2作目の『下北日記』でも書いているテーマです。

 実際に自分で思っているよりも他人って自分のことを見ていないし、失敗も覚えていないので、見てない隙に好き放題動き回ったらいいって思いますね。私の本がそのきっかけのひとつになるといいなと。

佐々木:他人は自分のことを見ていないって、「自意識過剰だ」として責める文脈ではよく言われるけど、道草さんの言い回しはやっぱりやさしいな。

道草:こう言ってますけど、私も今だって生きるのも大変だし、日々生きるか死ぬかのところで生きているので(笑)。挫折の程度もひどいし、だからあなたは全然大丈夫だよって伝えたいんですよね。

 創作についてのお話をうかがう中で、あの作品のやさしさが何なのかわかった気がした。それは、ひとえに道草さんのまなざしのやさしさだ。たとえ同じ内容の話であっても、他の人が描けば同じものにならない。とりわけ「自分の感じていることは自分にしか描けない」という言葉に救われる表現者たちも多いかもしれない。

「すべての人がどこか欠けていておかしいのだ」

 終わりから数ページ目のイラストの中で、道草さんはそう言っている。

 社会のレールから零れ落ちたばかりの4年前の私はその言葉に救われた。4年経った今は表現者の端くれとして、「自分の感じていることは自分にしか描けない」という言葉が新しいお守りになった。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。Twitter:@sasakinonoka