「メニエール病とな。しからばお手前の家に参ろうかの」『江戸秘伝! 病は家から』③

文芸・カルチャー

公開日:2019/11/24

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【第三病】メニエール病とな。しからばお手前の家に参ろうかの。(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 Sir・アーサー・コナン・ドイル、ご存知シャーロック・ホームズの生みの親。私が一人の作家の全集を初めて読み切ったのは、小五の夏の‘名探偵ホームズ全集’でした。

 何が面白いって、初対面の訪問者の前歴や出身地を、思わぬ着眼点から言い当てるホームズのずば抜けた推理力に魅了されていたからです。

 冒頭ホームズに触れた理由は、六角斎がこれまで示してきた見立ては、案外突拍子もない事柄同士を結び付けているのが、まるでホームズの推理のようだなあと子供心に感じたからでした。

 小説ならまだしも現実にそんなことってある?と、少しマセてきた私は、出来るものならば六角斎の尻尾(発想のヒント)でも捕まえてみたい気持ちになっていました。

 蝉しぐれが降り、打ち水で幾分か冷気を感じられるようになった夏の午後のことでした。

 運転手付きの黒塗りの外車(ビュイック)で、目にもすずしげな夏絹の召物のご婦人が六角斎を訪ねて来ました。

 六角斎は声色を低めて

 「これは御殿町の奥方。お久しゅう。今日は如何なことで当方へ?」

 と、いつになくカッコつけた口調。

 それもそのはず、御殿町といえば江戸時代は旗本屋敷がひしめき合う由緒ある地域。

 そのご婦人の申すに

 「はい、日に依って起き上がれない程のひどい‘めまい’がして。お医者で診て頂くと、メニエル病(正しくはメニエール症候群)とか云うそうで。原因不明でお薬も出ず、困っておりますの」(今はよく耳にする病名ですが、当時はまだ珍しかったようです)。

 六角斎は

 「メニエル、メニエルとな。ふうむ」

 と腕組みをして首をかしげています。(あれれっ、大丈夫かな? 今回はお手上げかな?)

 すると一転、

 「百聞は一見に如かずじゃ。しからば今からお手前の家に参ろう」

 と言い出したのです。

 ガビーン! 薄々は気付いていましたが、六角斎はきっとビュイックに乗ってみたかったのが本音では…。そこで私も間髪を入れず「僕も行く!」とせがんで、晴れて外車の車中と相成りました。

 六角斎も満更でもない様子で、ショーファードリブン(運転手付専用車)の車に満足気の笑み。(いい気なものだなあ。メニエル病の見立て、本当に大丈夫なの?)。

 御殿町の一角の或る門に吸い込まれるように車が停まり、執事らしき老人が出迎えて、いざお宅へ上がります。洋館のお屋敷は、案の定ピアノがあるお部屋や暖炉のある居間を抜けて、六角斎が所望したキッチンへ入りました。

 しばし台所全体を見回してから、

 「やはりそうか。以前お邪魔した頃と見比べてみると、奥方よ、流し周りを造り直し致したな?」

 と尋ねました。

 「はい、戦前の建物ゆえ昨今は水道管から錆がでる始末。この際にと、水回りの配管全て入れ替えました。でも、その事と私の‘めまい’に何か関係があると仰せですか?」

 「その通りじゃ。お手前の頭の中を駆けずり回っている血液の流れ、この血の巡りは新鮮な清い血を必要とする筈。そして台所回りに張り巡らされている水道の流れ、これも同じく清い水を通す働きをするもの。それを今までと違う水の流れ(配管の入替え)を生じさせたが為、お手前の頭の中の血の巡りもいつもと違ってしまい平衡感覚が狂ったのじゃよ」

 六角斎は、手の平を水平にして喉元に当て

 「よいか久志、この喉から上の方即ち頭全体は、家に当てはめると、上水道つまり飲料水の働きに相当するんだよ」

 と、帰りのビュイックの車中で私に説明しました。でもその時は、いかにもその仕草が当時人気絶頂のジャイアント馬場の空手チョップに似ていたので、子供にとっては頭と上水道の意味合いを理解するよりも、その仕草の方に気を取られていたと思います。

 「ひとくちに、水道水と言っても飲むためのキレイな段階の水と、流し台を経て汚水となるものとの違いで、人の体の部位に相当するところが異なるのさ」

 そう言う六角斎の呟きも、ビュイックのカーステレオから流れていた甘いグレンミラーサウンドに掻き消されていました。

 とは言え、しばらくして秋の装いとなった御殿町のご婦人が

 「お陰様で、近頃はもうクラクラしなくなったんですのよ」

 と六角斎の不在時に、舶来の菓子箱を携えて来訪されたそうです。

 そのあと戻った六角斎は“御殿町、夏絹の着物、ビュイック…”と呟いていたとのこと。本人としては‘三四郎’(漱石)の美禰子に寄せた“四丁目の夕日、ヘリオトロープの香り、ストレイシープ…”をなぞらえているつもりだったらしく。(案外とオツな一面も…)。第三病「完」。

<第4回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。