「厄年とは? 今回は数字だらけでごめんなさい。」『江戸秘伝! 病は家から』⑫

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/3

 窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ

【【第十二病】厄年とは? 今回は数字だらけでごめんなさい。(市井の“町医者”六角斎の見立て)

 いきなりキラッと光る何かが、私の首筋に押し当てられました。うわー、刀じゃないか!

 「いいや、これは寿司の神様と称される親方からの注文の逸品。日本一の庖丁さ」

 まあ当家は庖丁も扱う商家ですが、全くいたずら好きの六角斎です。おどかして済まんと言いつつ、

 「実はな、刃物は‘病と家’に深い関係がある」と。

 丁度そこへご近所の米屋の若夫婦が、口げんかしながらやって来ました。奥さんの申すには、

 「六角斎のご隠居、ちょっと聞いて下さいまし。うちの人ったら、‘俺もいよいよ厄年だ。おー怖い。お札はもらったけど外回りは勘弁してくれ’って、家にこもったきりなんですよ」

 するとご主人、

 「てやんでえ、厄年に車で出かけて大怪我したらどうするよ」

 とビクビクしてるったらありゃしない。六角斎は、

 「わしはお前の親父とは幼なじみ。あんたの年も家のこともよーく分かっておる。心配はいらんよ」

 と、上手くなだめすかして帰しました。

 ‘病と家’に刃物がどう関わりがあるのかの答えを待っていた私でしたが、次に六角斎が言ったのは、こんな妙な言い回しなのでした。

 「よいかな、刃物の持つ特性は‘病と家’のみならず、世間の方々に恐れ嫌われる‘厄年’の特性とも切っても切れない(また上手いこと言うなあ)関係性があるのじゃよ」

 ガビーン! どういう訳? 妙な関わり方をブチ上げてきたなあ。そもそも‘厄年’って?

 「そうか厄年からだね。さかのぼれば、古代中国の陰陽道(おんみょうどう)という吉凶を占う考えを元に、災難にあうことの多い年を言う。総じて男が25才、42才で女は19才、33才ころだね。久志も‘厄払いする’なんて言葉は聞いておろう。そして君はこの4つの数字から何か気付くことはないかね?」

 (うーん、いきなり言われても特に思いつかないなあ)

 すると六角斎は急に真面目な顔つきで

 「これぞ、‘江戸㊙伝’のある意味キモとなる数字でもあるんだよ。わしの名前からしてどうじゃな?」

 (名前?)

 「そうさ、六角斎ゆえ6だろうが」

 おっと、確かに六角斎の名前には明らかに6と言う数字が…。でもそれがどう働くのだろう。

 「面白いことに、どの数字もほぼ6で割切れる数に近いね。これをよく覚えといておくれ。ちょっと確認じゃが、久志は八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)の神話は大丈夫かな。そうだね須佐之男命(スサノオノミコト)が大蛇を退治する話さ。そして血だらけの尾から天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)が出る。これで刃物とは血を伴う危険な代物と印象付けられた。一方で、厄年を恐れる昔の人達は、この6で割れる年齢のころに家屋敷の普請(仕事も家庭も築き、さあ家を持とうかと思い立つころだね)などをすると、その1~2年の内にまるで刃物で大出血するような症状を伴う大病を招くことが多いと、長~い経験から気付いたのだろうね」

 ここで六角斎はぐいっとお茶を飲み干してから、

 「世間の人達はこの厄年をひどく怖がるが、わしに言わせれば全く反対の考え方をすべきだと思う。むしろ、先人達の積み重ねてきた経験を参考にして、そうした年は無理な普請は控えようと慎めば良いのじゃ。かえって‘厄年ゆえ無茶をせず慎めて有難いなあ’と思えるようになればいいのさ、ハッハッハ」

 この日の六角斎は、自身の名の6という数字をきっかけにして、数字の持つ驚くべき大切な働きを話し始めました。

 「よいかな、もっと原点に戻って考えてみよう。‘江戸㊙伝’をひも解けば、人はオギャーと生まれて1年ごとに、その人の体(頭、手足、腰、腹、胸、皮膚)の部位に注意を払うべし、とある。順に申せば出生から1年間は頭を。2才では手や足を。3才はおもに腰だね。4才でお腹(胃や腸)。5才が胸(肺)。そして6才になると体全体をおおっている皮膚、つまり全身だよ。こうして6年経つと一区切りとなるわけさ」

 (ふーん、何だか細かく分けるんだ。じゃあ聞くけど、7才とか8才になるとどういう風になるの?)

 「そりゃ簡単さ。6年で区切るのだから、要は1才、7才、13才、19才……は‘頭’に注意を向ける年なのさ。当然8才は、2、8、14、20才…で手足が大切だね」

 (成る程6年刻みだな)

 「さあ、では6で割り切れる厄年(18、24…、42才)のときを考えてみようか。そう皮膚すなわち体全体に注意の年だ。だから、そうした年に家屋敷で成した普請の箇所に相当する体の部位に、まるで刃物で切られるような大病が、その年か1~2年の内に現れるというわけなんじゃよ。ちなみに先程の米屋の主人は42才。ただし彼の場合、家やお店の造作は全くしておらん。だからわしは心配ないよと申したわけさ」

 (ねえ六角斎、ではこう考えてもいいのかな? ということは、みんな厄年を怖がるけれども厄年だから必ず大病になるのではなくて、わざわざその年に家屋敷の改造などせずに慎んで暮らしていれば何も心配することはない、ってこと?)

 「その通りじゃ!」

 と大きくうなずいた六角斎は

 「まあ、‘火のない所に煙は立たぬ’の話ではないが、そもそも厄年イコール大病になる、と思い込んでおる人の多いことよ。病になるとは厄年だからではなく、‘江戸㊙伝’の定めた数字の約束(年と体の部位の関係)を守らずに事を成したゆえの結果なのじゃよ。これを理解できればビクビクすることも不要となる」

 ふー、今回はいろんな数字が出て来たのでゆっくりおさらいしてみよう。で、第十二病「完」。

<第13回に続く>

我雅院久志(がびいん・ひさし)●江戸時代から続く商家の七代目当主。還暦を迎えた東京生まれの江戸っ子オヤジ。五代目当主だった祖父・六角斎のもとに、病に悩む市井の人々が日々訪ねてくることに気付き、その理由を探ることに。本連載がデビュー作となる。