「今回は江戸㊙伝ならぬ鎌倉㊙伝? うつ病も発症、さあ大変!」『江戸秘伝! 病は家から』⑪
公開日:2019/12/2
窓のない部屋に住むとうつ病に!? 小石が癌の原因に!? 医者が治せない病に悩む市井の人々は、なぜ江戸商人・六角斎のもとを訪ねるのか。その孫の我雅院(ガビーン)が謎に迫る江戸ロマン小説! バナーイラスト=日高トモキチ
【第十一病】今回は江戸㊙伝ならぬ鎌倉㊙伝? うつ病も発症、さあ大変!(市井の“町医者”六角斎の見立て)
あの頃の六角斎の書棚をジャンルごとに思い起こしてみると、圧倒的に古典・歴史書が多かったわけで。背表紙のタイトルでは七割がたは難解な漢字で、子供が手を出す気がしませんでした。残りは英語やドイツ語、果てはロシア語(どういうわけか六角斎は露語も読めた)のタイトル。
そうした雑多な本の山に、ひら仮名で‘とはずがたり’と読める背表紙の本が。パラパラとめくって見たものの、やはり子供には無理。すると
「ほー、徳ちゃんの本をなあ」
と、背後から六角斎が声をかけてきました。どうやら、徳ちゃんとは六角斎の旧友らしく、驚いたことは700年以上前の古典を、その徳ちゃんが発見して世に出したんだそうです。
一体どういうお話なの? と聞くと、
「まあ宮中の恋愛物と世間ではいうが、実はな……」
と前置きして
「わしが思うに、この本からは‘病’に関わる五つのキーワードが学べるのさ」
それは何なの? とせがむと
「では申すぞ。方違え(かたちがえ)、陰陽師(おんみょうじ)、粥杖(かゆつえ)、贖い(あがい)、撫で物(なでもの)。江戸より遥か昔の鎌倉時代の話さ」
ガビーン! ひら仮名の表題ゆえ、やさしい内容かと思いきや、今回は江戸㊙伝どころか鎌倉㊙伝の様相だ。こうなったら、ちゃんと教えてもらうことにしようっと。では、お願い。
「なにぶん遠い昔の人達の生きざまだからのう。五つのことが正しいとかうんぬんよりも、当時の人々が‘病’にどう向き合ったかの雰囲気だけでも、現代の君達が感じ取れれば良い」
そして
「まず、方違え。これはAからCの地へ行くのが良からぬ方位の時に、一旦AからBへ向かい、次にBからCへ着けば良しとする考え。わしは全くこれには賛同せん。だって結局のところ方位から逃げてることに過ぎんよ。
次の陰陽師は久志も何かで聞いたことがあろうね。この本の頃は、奇妙な病気にかかると陰陽師に尋ねて、回りの人に害を及ぼすから外出はならぬ等、今でいう医師の診断めいたこともしていることがわかる。
次いで粥杖じゃ。こりゃ誰もが迷信と思うようなことだが、元寇の頃の貴族社会では確かに行われておった。うん? どんな事とな。それは、小正月の日に粥を炊く燃え木で作った杖で、女の腰を叩くと男の子が授かるという言い伝えじゃ。もちろん真偽の程は定かではないが。
して、贖いは案外と今の感覚の行動でな、犯した罪をつぐなうべく当人の金品や刀、着物などを放出して許しを乞うことさ。
最後の撫で物、これなんぞ久志らが好きな漫画の、ゲゲゲの何とかにも出ていたような気がする。ほら、人型に切った紙で‘病’の者の体を撫でて、邪気をその紙に移らせてからお祓(はらい)をしてもらうのさ。確か南米アマゾンの部族でも同じようなことをして、‘病’が体から抜けたと言わしめる酋長が現代でもおるらしいぞ」
一気に、当時の‘病’に結びつく五つの事柄を説明し終えると、六角斎はちょっと一息入れさせてくれやと言うなり、ゴロンと横になったかと思うやクークー寝入ってしまいました。
私は、‘とはずがたり’(後深草院に仕える二条なる女の、王朝恋愛物日記らしい)と言う作品も六角斎の視点で読んでいくと、‘病’に対するとらえ方の違いを学べることを知りました。
そのうちに、ふと六角斎が呼んでいた‘徳ちゃん’なる人に興味がわいてきました。小一時間ほどすると、あーよく寝たわいと六角斎が起き出したので、早速その‘徳ちゃん’にまつわる話をして欲しいとせがんだのです。
「おいおい、今度はわしの親友の徳平(へー、徳ちゃんは徳平って名前か)の話をせいと言うのかいな」
(はい、お願いします。)
「ふーむ、大隈重信公が総理大臣の頃だったから、大正の始め頃だったと思う。北陸から上京して高等師範学校に通う秀才で、わしとは講道館(柔道)で知りおうたわけさ。うん? わかってるよ、そんな経歴より‘徳平の病と家’にまつわることを聞きたいんだね。
二人して長塚節先生(ながつかたかし、「土」の作者)のお見舞いに行って以降、普段は明るい彼がそれ以来全くふさぎ込みだしてな、口はきかず下宿にこもったきりになったんだ。心配して田舎から両親も駆けつけ、いろんな医者に診てもらったが一向に良くならんのじゃよ。
ひと月経ち、やっと彼が“おとう、六角に助けてもらってくれ”と口を開いたそうだ。ご両親にすがるように頼まれたので、若かったわしも、‘江戸㊙伝’の知恵を絞って考え抜いた。何かある。何かしてる。なぜ陽気な彼があんな症状に。うーん、わからん。‘病と家’と言ったって彼の下宿は三畳一間だけ。あるのは本とせんべい布団だけ。田舎から上京してきた彼。うん? 待てよ、ひょっとしたら……」
もう六角斎は当時の情景がありありと浮かんでいるのか息も切らずに続けます。
「お父上、徳平が上京してのち、彼の居た部屋は今どうされてますか?」
(はい、十年は戻らないようなので、養蚕カイコの部屋を増やそうと徳平のいた南向きの大きな窓を光が入らぬように板を何枚も打ち付けて、ふさぎました)
「それだ!いいですかお父上、あくまでも東京の彼の下宿は仮住まいです。いみじくも今、彼のいた部屋の窓をつぶしてふさいだと、おっしゃった。それと同じように彼の心もふさがれて、日も射さないような暗い症状を発したのです。たとえ何百キロ離れても、彼の居場所を好き勝手に造作すると、慎まねばならない年や方角によっては、家で起こしたことと同じ症状で知らしめられるのです」
そうしてご両親が心から、知らずにしたことをお詫びしたところ、見る見るうちに徳平は元の根っから陽気な若者に戻ったそうです。
「おっと久志よ、わしは‘徳ちゃん’と平気で言っとるがの、君は決してそんな気安く言ってはいけないよ。どうしてって? だって彼は大成してな、ある大学の学長にまで成ったのさ」
ガビーン! だから700年も埋もれていた、‘とはずがたり’も発見したすごい方なんだ、と感心し、よくまあ六角斎は顔が広いなとあきれたところで。第十一病「完」。