浮気窃盗疑惑に空き巣騒ぎ…ひょっとして認知症?/子育てとばして介護かよ④

暮らし

更新日:2020/7/13

30代で出産する人生設計だったのに、気づけば40代に突入…いろいろ決断すべきタイミングで、なんと義両親の認知症が立て続けに発覚!
仕事の締切は待ったなし、夫の言動にもやきもきする――そんな現実に直面したらどうする? 久しぶりに会った親が「老いてきたなぁ」と感じた人は必読! 『子育てとばして介護かよ』(島影真奈美:著、川:マンガ・イラスト/KADOKAWA)から“書き下ろし”を含む試し読み連載です(全9回)。

『子育てとばして介護かよ』(島影真奈美:著、川:マンガ・イラスト/KADOKAWA)

おとうさんは、その女の人を見たことがありますか?

 窓から女性が入ってきて、天袋を通り抜けて2階に上がっていった。そして、そのまま棲(す)みついている。義母はプンプンしながら話していたが、冷静に考えるとかなりホラーな状況だ。夫の実家では何が起きているのか。

 わたしは混乱しながらも、少し前にライターの仕事で出向いた取材現場で聞いた話を思い出していた。

 認知症には、さまざまな予兆があるという。たとえば、久しぶりに訪れた実家の冷蔵庫に、賞味期限切れの食材があふれていたら黄色信号。部屋がすさまじく散らかっているときもおなじく、認知症のサインの可能性がある。もの忘れがあると、すでに在庫が十分にあっても次々にものを買い、その結果、自宅がものであふれてしまうのだ。ものをしまった場所がわからなくなり、「ドロボウに盗まれた!」と言い張ることも珍しくないと聞いた。

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 さらに、もの忘れはあまり目立たないけれど、〝見えないものが見える〞という症状が出るタイプもあるという話だった。義母が言っていた「2階にいる、小太りの女性」はまさに、その話に当てはまるのでは……?

 言葉を慎重に選びながら、義父母に認知症の心配がありそうなことを夫に伝えた。夫はわたしの想像よりもはるかに楽観的で「マジか!」と笑っていた。

「まあ、親父もおふくろもいい年齢だし、そういう話が出てきても不思議はないよ」
 冷静な反応である。ただし、続きがあった。

「あわてて結論づけるのはやめよう。突然、おふくろが霊能力に目覚めた可能性もゼロではないから」
 浮気窃盗疑惑に空き巣騒ぎ、認知症の疑いに続いて、まさかの霊能力者説が浮上した。冗談かと思ったら、夫は大真面目だった。そして「しばらく様子を見よう」と言ったまま、一向にアクションを起こす気配はない。

 ギリギリにならないと動かない。夫には昔からそういうところがあった。結婚前に半同棲のように暮らしていた部屋が更新時期を迎え、新しい部屋を探すとなったときも、夫は「いい物件が出てくるのを待とう」と繰り返した。焦ったわたしが急(せ)かしても微動だにせず、「引っ越しする気あるの?」「あるに決まってるだろう」と何度も大喧嘩をした。その後、もう一度引っ越しをしたが、最初の経験をふまえて放置したところ、いよいよ後がないという時期になったら、迅速に動き始めた。一度動くと、早い。テキパキと段取りをし、きっちり帳ちようじり尻も合わせる。ただし、動き出すタイミングを決めるのは彼自身で、周囲がワーワー騒いでも馬の耳に念仏だ。

 おそらく今回の実家の不穏な動きについても、同じことが起きる。わたしが「どうするの?」「連絡しなくていいの?」と口を出してもうるさがられるだけ。あきらめにも似た確信があった。

 ただ、引っ越しのときのように、放っておくこともできなかった。正体がわからないぶん、不安も募った。
 結局は、わたし自身が夫の実家に電話をかけてみることを選んだ。夫には「そのうち、ご機嫌うかがいの電話をかけて、ついでに様子を聞いてみるよ」とだけ伝えてあった。

 実際のところ、手短に話を終わらせるつもりでいた。2階に棲みついたという女性の話は想像すればするほど怖かったけれど、夫の「ある日霊能力に目覚めてしまった」という話も、100パーセントないとは言い切れないとも思っていた。むしろ、本当に誰かが住んでいるほうが状況としては恐ろしい気もしていた。

 わたしは今、とんでもないびっくり箱を開けようとしているのか。ドキドキしながら夫の実家に電話をかけた。

「あら、真奈美さん! あなた、お元気?」
 電話をとるなり、義母は上機嫌だった。
「あの子は風邪を引いたりしていないかしら?」
「おかげさまで元気にやってます」
「そう。昔から丈夫なだけが取り柄でね。よく食事をとってますか?」
「はい。おかあさんたちはいかがですか。最近、急に寒くなってきたから体調を崩したりしてないかと思って……」
「こちらはおかげさまで変わりなくやってますよ」

 お約束になりつつあるやりとりだが、義母はうれしそうだ。さりげなく会話の中に生活状況を確認する質問を織り交ぜる。たいていは即座に回答が返ってきた。

「食欲は困っちゃうぐらいあるの」
「睡眠もよくとれているわよ」
「お通じも問題ないわね」

 調子はかなり良さそうだった。なにより、認知症を疑ったのが申し訳ないぐらい、テンポの良い会話が成立する。わたしの考えすぎだったのか。取り越し苦労だったのかもしれないと反省しかけた矢先に、「唯一の悩みはね、ヘンな居候がいることなのよ」と、義母が小声になった。

「居候っていうのはね、女の人なの。そうそう、この間話したあの人ね。近所に住んでるみたいなんだけど、どこの誰なのかはよくわからないわね。以前に会ったことがあるのかしら。よく知らないわ。でも、なんだかヘンな人なのよ。こちらがあいさつしても知らんぷりなの。まったくどういう人なのかしらね。どうも様子がおかしくて、いつもこちらの様子をじーっとうかがっているの。気味が悪いでしょう? しかも、こちらが油断してると部屋に勝手に入ってきて、いろいろなものを持って行っちゃうの。ホント、イヤになっちゃう」


 話を聞けば聞くほど、様子がおかしいのは義母なのだが、さすがにそんなツッコミを入れる勇気はない。
「それは……困っちゃいますね。……ところで、おとうさんに電話代わってもらってもいいですか」
 冷静に考えると、けっこう失礼なことを言っているのだが、義母は気にする様子もなく、「おとうさまともお話ししたいわよね。ウフフ」と義父に代わってくれた。

「女ドロボウね。僕もずいぶん困っていますよ。盗まれたものはまず家内のカーディガン、医者にもらった薬、あと通帳や現金もなくなっています」
「なるほど……」
「ああいう輩やからは、いったいどういう教育をされているのか、嘆かわしいことです。どうも家内のものばかり狙うのがまた、にくらしいですな」
「あの……おとうさんは、その女の人を見たことがありますか?」

 最初に「2階の女性」の話を聞いてから、ずっと疑問に感じていたことを思い切って聞いてみた。すると、義父の答えは「一度もありません」だった。やっぱり!

「ズル賢いタチのようで、人の気配がするとサッと隠れる……と、家内は言ってます。姿を現してくれれば、こちらとしても対応のしようがあるんだが、僕の前には出てこない。そこがどうにも厄介なんですな。だいたい盗難届を出したときに警察が真剣に対応してくれれば、こんなことで悩まずにすんだものを……」

 義父は、義母の訴えをそのまま事実として受け止めているらしい様子だった。そして、ひたすら「空き巣騒ぎの際に駆けつけた警察官の対応」への怒りを募らせていた。

「どうも我々を認知症だと決めつけていたフシがある。まったくもってけしからんことです!」

 義父の思い出し怒りは止まらず、「2階の女性」についてくわしく質問できる雰囲気ではない。「なるほど」「そうですか」「大変でしたね」を繰り返すうちに気づいた。これってもしかしてチャンスなのでは?
「おとうさん! もの忘れ外来、受診してみませんか」
「……それは認知症の検査をするということですか」

 電話の向こうからムッとした空気が伝わってくる。でも、ここまでは予想通りだ。
「一度きちんと検査しておけば、この間の警察官みたいな失礼な人に出くわしたときの自衛策になると思うんです。医師からの『認知症ではない』というお墨付きがあれば、さすがに相手もいい加減な対応はできないんじゃないかなって」

「ほう。それは一理ありますな」
 義父が関心を示した。電話の向こうの張りつめた空気もゆるんでいく。

「受診するとしたら、どこかおすすめの病院はありますか?」
「なるべく行きやすいところがいいですよね。探してみましょうか」
「認知症ではないという証明書をもらえたりするんでしょうかね」
「それも一緒に調べてみますね」
 インターネットで検索すると、実家からあまり離れていない場所にある総合病院に、もの忘れ外来が併設されていた。

【次回に続く!】