「赤ちゃんのときに負った大火傷。助けを求めても母は来てくれなかった…」あきらめることができたとき、人は優しくなれる/あきらめよう、あきらめよう④

暮らし

公開日:2020/7/26

あきらめよう、あきらめよう。そうすれば、どんなときも幸せは見つかります。この困難な時代をしなやかに生きるヒントを語った、シスター鈴木秀子、渾身のメッセージです。さあ、一緒に聖なるあきらめのレッスンをしていきましょう。

『あきらめよう、あきらめよう』(鈴木秀子/アスコム)

あきらめることで、人は優しくなれる

 あるとき、Hさんという経営者の方から、このような相談をされたことがあります。

「私は、わが社の社員を信頼しているつもりです。けれどもここだけの話、心の深いところではどんな社員も全面的に信じ切れないところがあるのです。社員から見ると、私はきっと『冷たい人』と映っているに違いありません。いったいどうすればいいでしょうか」

 私はこう質問しました。

「もしかすると、あなたの過去に何かがあって、『どんな人も全面的には信じ切らないようにしよう』と心に刻んだのではないでしょうか」

 すると、Hさんはしばらく黙り込んだあと、何かを思い出したようにポツリポツリと話し始めました。

 Hさんはまず、彼の肩から腕にかけて広い範囲に火傷の痕が残っているということを明かしてくれました。その原因については「囲炉裏に落ちて熱湯をかぶった」と亡き母親に教えられただけで、詳しいことはまったく知らなかったといいます。

 けれども私と話しているうちに、立ち込めていた霧がパッと晴れるように事故当時の記憶がはっきりと目に浮かんだといいます。

 

 Hさんが、まだ赤ちゃんだったとき。

 田舎の大きな日本家屋の中で一人でよちよち歩きをしていたHさんは、何も知らずに大きな囲炉裏に近づいてその中に転落。火にかかっていた大鍋をひっくり返して、煮えたぎる味噌汁を上半身に浴びてしまったのです。それは、Hさんのお母さんが裏手の畑へ出かけた、ほんの10分ほどの間に起こった悲劇でした。

 お母さんは、味噌汁の具にする青菜をとるため「ほんの少しなら大丈夫だろう」と、Hさんを家に残したまま外出していたのです。

 沸騰した味噌汁を突然浴びたHさんは、耳をつんざくような悲鳴を上げて泣き続けました。けれどもその声は、お母さんにまったく届きません。

 彼は、囲炉裏の中からはい上がることもできずに、数分間泣き続けざるをえませんでした。

 あまりの熱さと激痛と大きな恐怖やショックで、気を失いかけたとき。ようやくお母さんが青菜を抱えて家へと戻ってきたのです。

 虫の息のHさんを囲炉裏の中に見つけたお母さんは、事態を一瞬で理解して動転します。

 そして血の気が引いた顔で一言も声をかけずに横抱えにして、村のお医者さんのもとへと走りました。

 Hさんは、熱湯がかかった服を着せられたまま、全速力で走るお母さんの脇にまるでラグビーボールのように抱えられ続けます。大火傷を負った状態で着衣のまま走るわけですから、肌が激しくこすれてますます痛くなるのです……。

 

 Hさんの回想はそこで終わりました。そして、このように分析をしてくれました。

「私はこの事故以来、自分の中に一つの信念を根づかせました。それは、『誰も信用してはならない』という信念です。火傷の直後、自分が死にかけて苦しんでいるときに、唯一の味方だと信じていた母親はすぐに助けにきてくれなかった。母親が助けてくれないのに、世界中の誰が自分の味方をしてくれるだろう。

『誰にも期待をしてはいけない』『何でも自分の力で解決しよう』、そのような信念です。そのおかげで大人になって会社を興してからも、そのような姿勢が幸いして、誰からもつけ込まれたり乗っ取られたりせずに経営を続けてこられたに違いありません」

 彼の言葉に、私は「なるほど」と思いました。

 けれども、「誰も信用してはならない」という信念に長年とらわれ続けているなんて、あまりに悲しい話ではありませんか。そこで、このような問いを投げかけてみました。

「少し立場を変えて考えてみましょう。あなたがもし、当時のお母さんだったとしたら。どんな気持ちだったと思いますか?」

 するとHさんは突然、号泣し始めました。しばらくして、自分自身に言い聞かせるように、ぽつぽつと話し始めました。

「瀕死の私に気づいた母は、私を家に一人残したことでどれほど自分を責めたでしょう。どれほど悔やんだことでしょう。私の火傷をどれほど心配したことでしょう。

 当時の私は、母の胸中を察することなどとてもできませんでした。そして一方的に、心の中で母を深く恨み続けてきたのです。

 当時の母は私を抱えて村の医者の所へ全力疾走して、私を助けようとしてくれたはずです。そして母は死ぬまでずっと、この事故のことで自分自身を責め続けていたと思います。それはどれだけつらいことだったでしょう。

 今の私は『お母さん、ありがとう』という気持ちでいっぱいです」

 この話には後日談があります。彼はそれから人が変わったように「優しい人」へと変貌し、自社のスタッフたちを驚かせました。そして2年後に息を引き取ります。

 Hさんが優しくなったという急激な変化については、スタッフ全員が不思議に思っていたそうです。なかには「急逝する死期をわかっていたから、最後の2年間はあのような優しさを示されたのではないか?」と推察する人もいたそうです。

 Hさんが急変した本当のきっかけは、自分の不信感の原因がわかったことなのです。意識下の「母親への誤解」に気づいた途端、優しくなれたのではないでしょうか。

 Hさんは大人になってから、意識下に押し込めていた過去の悲しい出来事を明らめることができました。明らめでのもっとも大きな発見は、母のHさんに対する強い愛情だったのでしょう。

 そして、起こってしまった不幸を諦める(納得して受け入れる)ことができたのです。

「見方を大きく転換させることができた」というのも、聖なるあきらめの一つの形です。

 彼が亡くなったときに一番泣いたのは掃除のおばさんたちと運転手さんだったと、風の噂で聞きました。Hさんは社内ではあまりお礼を言われることが少ない、いわば裏方的なスタッフの一人ひとりにまで目を配って、「ありがとう」などと労いの声をかけていたのです。

 彼の中に、自然と人を信じ、「誰とも分け隔てなく優しく接する」「周囲に感謝して生きる」という確固とした信念が広がっていったのです。

 あわただしく過ぎ去っていく日常の中で、周囲への優しい気持ちを忘れてしまいそうになるとき、私はHさんの聖なるあきらめを思い出すのです。

<第5回に続く>