ダ・ヴィンチニュース編集部 ひとり1冊! 今月の推し本【8月編】

文芸・カルチャー

更新日:2021/8/23

ダ・ヴィンチニュース編集部推し本バナー

 ダ・ヴィンチニュース編集部メンバーが、“イマ”読んでほしい本を月にひとり1冊おすすめする新企画「今月の推し本」。

 良本をみなさんと分かち合いたい! という、熱量の高いブックレビューをお届けします。

夏の成分多め! 現実逃避させてくれる隠れた名作『微熱少年』(松本隆/立東舎)

『微熱少年』(松本隆/立東舎)
『微熱少年』(松本隆/立東舎)

 残虐な感情に触れたあと異様に美しい感情を求めたくなる。真逆のようで隣り合わせの2つの間を行き来する中で、松本隆の『微熱少年』を手にとった。

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 ちなみに「マウントレーニア」のCMで窪田正孝の歌声で再生される「風をあつめて」は、松本がドラムを務めたバンド「はっぴいえんど」の代表曲で作詞も手掛けている。

「16ばんめの夏だった。」からはじまる『微熱少年』は、1960年代、高校生の音楽少年「ぼく」らの青春を描く。ビートルズ来日公演の一連の流れ(三島由紀夫も登場する)からはその時代の高揚した空気がよく伝わってくるし、恋愛も冒険もする“微熱”をはらんだ「ぼく」の感覚は魅力的で、少なからず松本の面影がよぎる。

 それにしても男女はなんでこうすれ違いながらも向かうべき方へと導かれるのか。また数ページもめくれば、きっと「ぼく」は、次の恋に移行しているとも思える。

 美しい言葉を大量に浴び、60年代の空気感 が手伝って、存分に現実逃避させてくれる1冊。自意識がこじれる前の青い頃の自分を思い出すかも…。

中川

中川 寛子●エッセイ、社会派ノンフィクション、ギャグ漫画多め。藤子・F・不二雄作品好き。ダ・ヴィンチニュース副編集長。今の時期、『奇妙な孤島の物語』『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』もおすすめ。サカナクションのオンラインライブに衝撃を受けた。


16歳で自死した息子と話すためのふたりだけの空間『理由のない場所』(イーユン・リー :著、篠森ゆりこ:翻訳/河出書房新社)

『理由のない場所』(イーユン・リー :著、篠森ゆりこ:翻訳/河出書房新社)
『理由のない場所』(イーユン・リー :著、篠森ゆりこ:翻訳/河出書房新社)

 自殺のニュースを目にするたびに、悲しみをずるずると引きずってしまう。日常生活のふとした瞬間に、答えのない問いがとめどなく溢れてきて悲しみでいっぱいになる。特に、子どもが生まれてからは残された両親のことを考えてしまう。我が子のいない時間を生きていかないといけない、その苦しみは計り知れない。

『理由のない場所』は息子を亡くした母親の物語だ。16歳で自死した息子。残された母は息子と会話をするためのふたりだけの場所を頭の中に作る。そこでの会話は、思春期の男の子と母親のありふれたものだ。母親に向かって毒づいたり、反発したり、母親も諭したり、時には茶化したり…。ふたりは「死」を避けつつ、いつも通りの会話を続けている。それがかえって胸を締めつける。

 著者のイーユン・リー氏は16歳の息子を自殺で亡くした数週間後にこの物語を書き始めた。自分の悲しみを作品に注ぎ込んだのだ。

 母親は、息子のいない現実を生きるために、亡くなった息子との会話を続ける。息子と生きられるその場所が彼女の命を繋いでいるのだろう。大切な人との何気ない会話や時間は尊いもの。当たり前だけどつい忘れてしまいがちなことを思い出させてくれた。

中川

丸川 美喜●連載や夫婦関係や親子・育児の悩み、占いなどの特集を担当。プライベートでは1児の母。日々やんちゃ度が増していく息子を追いかけ回しながら暮らしている。


人間と動物、残酷なのはどちらか? 酷暑に読みたい雪山の決闘劇『羆』(吉村昭/新潮社)

『羆』(吉村昭/新潮社)
『羆』(吉村昭/新潮社)

 直木賞受賞『少年と犬』(馳星周)を読んで、子どもの頃に感じた動物小説のおもしろさを想い出した。同時に、言葉を語らない動物を主に据える物語の難しさとそれを味わう醍醐味も満喫。吉村昭の『羆(ひぐま)』は、子熊を育て、裏切られ、愛妻を殺された中年男・銀九郎が雪山に分け入り復讐を果たすまでを追う短篇小説。

 追われて山に逃げた熊が、その眼で何を見て、どんな臭いを嗅いでいたのか、言葉で語ることがないため読者には一切分からない。だが、熊を撃ち殺した後に、ふと銀九郎の胸によぎる「なぜ熊は倒れたのか?」という小さな疑問が、すぐにある確信へ変わり、銀九郎を激しく動揺させる。それは復讐心や憎悪ではない。撃たれた熊が何を考えていて、死に際に何を見たのか、我がことのように理解したのだ。

 人の姿を丹念に描くことで厳然とした自然風景を際立たせ、人の心の内を緻密に表現することで動物の存在感を彫刻のように削り出していく。その対比が見事。雪山の風景は“読む避暑術”としてもこの時期おすすめしたい。

中川

田坂 毅●美術館、シンクタンク勤務等を経て、編集者に。文芸、ルポ、実用書など幅広く読みたいと思いつつ、つい手に取ってしまうのは「綺麗事ではない何か」が詰め込まれていそうな一冊。


明暗が脳裏に焼きつく怪異漫画『百物語』(杉浦日向子/新潮社ほか)

『百物語』(杉浦日向子/新潮社ほか)
『百物語』(杉浦日向子/新潮社ほか)

 夏になると怪異譚を読みたくなる。いや、私の場合は年がら年中だが、夏に読む怖い話は外の陽気と脳内の陰気の温度差が激しくて格別だ。暑気の中、読む清涼剤としてぜひ推薦したいのが杉浦日向子氏の『百物語』である。

 時は江戸、とあるご隠居が上物の伽羅香100本を焚く勘定に、自身の庵を訪れる客人に怪異の物語を請うていく。枕の中の声に語りかけて弟を取られる話(枕に棲むものの話)など、誰かの体験談として語られるものもあれば、狐狸妖怪の子どもを孕んだ女の孫の話(杢兵衛の孫の話)など、伝説のようなものもある。

 いわゆる普通の怖い話は、ぞっとする怖がらせポイントがある場合も多い。しかし、伝聞と体験談をもとに描かれたこの本の話は、江戸の町に暮らす人々の生活に息づく怪異で、ふと聞いたら世間話や勘違いで終わらせてしまうようなものばかり。百物語として集められたことで、重なった薄い膜のあわいに確かな異界・異形の影が滲み、読み手は底冷えするような恐怖を味わえる。

 最短2ページで終わるものもあり、話も絵もかなり省略されている。その中で怪異の不条理さや不気味さ、同時に確かに生きる江戸の人々を感じさせる手腕は、故・杉浦氏の天才的な画力、無駄なものをそぎ落とす表現力の為せる業だろう。読み終わった後は、江戸の闇の濃さと畏怖、目が痛いような日向の明るさと不穏さが脳裏に焼きつき、タイムスリップして怪異を見てきたような心持ちになることをお約束したい。

中川

遠藤 摩利江●マンガ・アニメ・怖い話が病的に好き。部屋には本棚と床置き本のタワーがあり、生活スペースのほとんどを占領されている。最近はツイステがアツい。


やるせなさに胸がつまる…体操ファン興奮必至の「体操×ミステリー」の傑作『コーイチは、高く飛んだ』(辻堂ゆめ/宝島社)

『コーイチは、高く飛んだ』(辻堂ゆめ/宝島社)

 体操というスポーツは、死と隣り合わせだ。体操ファンになって20年以上になるが、その間に採点システムが変わり、技の難度は天井知らずとなった。超人的な技を見せてくれる陰には、選手の血のにじむような努力と、恐怖心の克服が欠かせない。

 本書の主人公・幸市も、高校1年生にして超人的な鉄棒の技をもつ体操のエリート選手だ。しかし、練習中の相次ぐ器具の故障や妹の事故など、不運が続いてゆく。一連の出来事の裏には何があるのか――幸市は出場予定の世界選手権、そして目標の五輪へと無事羽ばたけるのか。

 真実が明らかになるにつれ、感じるのは「切なさ」だ。ほんの少しの悪意がドミノ倒しのように悪い方へ悪い方へと物事を導き、ひとりの将来有望なスポーツ選手と家族を苦しめてゆく。体操ファンとしてはやるせなさで胸が締め付けられる。

 ミステリーメインのため、試合シーンにスポーツマンガのようなカタルシスはないが、まるで試合会場で見ているかのようなリアルな試合展開に、東京五輪延期で体操観戦に飢えている体操ファンは興奮必至。衝撃のラストに向かう物語の熱量を、体操ファンもそれ以外の方もぜひ感じてみてほしい。

中川

宗田 昌子●20年以上の体操ファン。小説はミステリー好き、少女マンガや女性マンガには1日1回以上触れないと眠れない。今は「私たちはどうかしている」のドラマ化に興奮気味。


「心温まる物語」って何? ひとつの答えをくれた、「マカン・マラン」シリーズ(古内一絵/中央公論新社)

「マカン・マラン」シリーズ(古内一絵/中央公論新社)

 「読んだ後、心が温まった」みたいな本の感想を、信用できなかった。繰り返し観る映画はタランティーノとか『アウトレイジ』だし、小説なら阿部和重さんの「神町サーガ」が大好きだ。自分が没頭できるフィクションは、物騒な世界の物語ばかりだと思っていた。

 元はバキバキに仕事ができたビジネスマンで、今はドラァグクイーンであるシャールさんが、自身が営むカフェで滋味深い夜食を供し、悩みを持つ人々の心をほどいていく「マカン・マラン」シリーズは、まさに「読んだ後、心が温まる」作品だ。4冊を夢中で読んだだけでなく、個人的に共感し、恥ずかしながら泣いてしまったエピソードもある。

 シャールさんは、他者を救済するために行動する聖人君子ではない。勝手な理屈をふりかざすお客を、平然と突き放したりもする。それでも作中の人物たちは、夜食カフェ=マカン・マランを訪れる。それは、痛みを知るシャールさんとの会話が、「自分が何を大切にしないといけないのか」を思い起こさせてくれるから。あるいは、「人は誰かにとって大切な存在であること」を、改めて気づかせてくれるから。

 だから「マカン・マラン」を大切な人に薦めたいと思ったし、読んで感想を聞かせてもらったとき、とても嬉しかった。その連鎖もまた、「心温まるもの」であったりする。物騒なものしか好きになれないはずだったのに、気づいたら「俺も、シャールさんに心ほどかれてるじゃん」と思った。

中川

清水 大輔●音楽出版社での雑誌編集や広告営業などを経て、20年7月よりダ・ヴィンチニュース編集長。仕事上の得意ジャンルは、アニメと音楽。好きなものは、柏レイソル。