開幕24連勝で楽天初優勝に貢献。米国で6年連続2ケタ勝利。攻めの投球に徹する好投手【田中将大】/名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -④

スポーツ・科学

公開日:2020/9/22

引退後も積極的に現場に赴き、プロ野球の最前線を見てきた江夏豊。数々の逸話を残した彼が選ぶ最高の投手たちとは? 歴史に残る大投手から、令和のプロ野球界をけん引する現役投手まで、記憶に残る名投手をご紹介します。

名投手 - 江夏が選ぶ伝説の21人 -
『名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -』(江夏豊/ワニブックス)

田中将大

 06年夏の甲子園、田中将大君(北海道・駒大苫小牧高→楽天)と斎藤佑樹君(西東京・早稲田実高→早大→日本ハム)の決勝再試合。手に汗握る熱戦をいまも鮮明に覚えている。世間は斎藤佑樹君の「ゆうちゃん」に対して、田中将大君を「マー君」と呼ぶが、私はなぜか昔から「マーちゃん」と呼んでいる(笑)。

 マーちゃんとの出会いは、翌07年1月。沖縄キャンプ取材。私が「先乗り」で那覇空港に降りたとき、同じ便に乗っていて、私を見つけてあいさつに来てくれた。

「野村克也監督の楽天でよかったな。キャンプを見に行くからがんばれよ」

 その日、私が夕食から戻ったとき、宿泊先ホテルのロビーでまた遭遇した。同じホテルだった。翌朝も顔を合わせた。縁があったんだな。

 聞けば、マーちゃんは、私の出身の兵庫県尼崎市のお隣の伊丹市出身。自転車を漕いでわずか15分の距離。小学校時代は坂本勇人君(光星学院高→巨人)とバッテリーを組んでいた(田中が捕手・4番)。

「何で北海道なんて行ってん?」

「学校の先生が紹介してくれましたから」

 野球人にとって甲子園は特別な場所。「地元に残って甲子園をめざす」か「地方の強豪校で夢をかなえる」か。北海道に行って活躍して、楽天に入って、結果的に大成功だ。以降、私が野村のおっさんに会いに行くと、マーちゃんが必ず笑顔で飛んできてくれた。

 これまで話してきた球史に残る投手の中で、勝率のトップは稲尾和久さん(西鉄=通算276勝)・668、次が斎藤雅樹君(巨人=通算180勝)・652。

 マーちゃんはその2人を上回る・690。「負けない」のは好投手の証し。しかも、メジャー・リーグの勝敗を含めてだから価値が高い(19年現在、日米通算174勝)。

 さかのぼっても日本での13年24勝0敗なんて数字は考えられない。「クオリティ・スタート(先発6回自責点3以内)」も100%。創設9年目にして初優勝を遂げた楽天の「貯金」が23だから、単純計算でマーちゃんの存在がなければ負け越しだった。

 

 マーちゃんといえば、投手の原点である「攻めの投球」が最大の武器。速いストレートを見せて、得意のスライダー。速いストレートを見せて、得意のスプリットフィンガードファストボール。その組み合わせが大変上手である。「力で抑え込んでやろう」という萌芽は、あの甲子園決勝のマウンドから見て取れた。

 それこそ野村のおっさんが「マー君は技巧派だ」と言っていたけど、捕手のおっさんから見たらそうかもしれないが、投手の私から見たらそうではない。

 技巧派に見えるほど繊細な神経。そして繊細なコントロールを武器にした「大胆かつ攻めに徹する投球」なんだ。でも、最終的にはピンチを自分の力でねじ伏せる投球スタイルだった。それをマスコミは「ピンチになればなるほど、ギアを上げていく」と表現していた。

 マーちゃんは、昭和最後の88年生まれ。平成以降(30年間)の勝利だけで200勝到達は野茂英雄君(近鉄ほか)、山本昌君(中日)、黒田博樹君(広島ほか)の3人。すでに令和。もう新時代なんだな。マーちゃんは、メジャーでも6年連続2ケタ勝利。日米通算200勝の金字塔まで残り26勝。

 思えば09年、野村のおっさんの「監督通算1500勝目」の勝利投手はマーちゃんだった。監督退任後も、おっさんは記念の特製バッジをいつも背広の左胸に付けていた。マーちゃんの投球をきっと天国で見守ってくれている。

<第5回に続く>