甲子園・日本シリーズ・WBC・ワールドシリーズ、すべてで頂点に立った野球の申し子【松坂大輔】/名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -③

スポーツ・科学

公開日:2020/9/21

引退後も積極的に現場に赴き、プロ野球の最前線を見てきた江夏豊。数々の逸話を残した彼が選ぶ最高の投手たちとは? 歴史に残る大投手から、令和のプロ野球界をけん引する現役投手まで、記憶に残る名投手をご紹介します。

名投手 - 江夏が選ぶ伝説の21人 -
『名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -』(江夏豊/ワニブックス)

松坂大輔

 私は最近の「球数制限」という言葉、大変寂しいと感じる。「1週間で500球以内」とか、高野連が決めた公式のルールがあるだろうし、語弊があったらご容赦願いたい。

 私見ではあるが、なぜ、大人がそこまで高校生に関与しなくてはいけないのか。本番で「生きた球」を120球ほおるには、練習のブルペンでその倍をほおらないと。たとえば200球を3日間投げさせる。1日、2日休ませる。そういう粘りとかリズムを作らないと、いざ本番で「7回スタミナ切れ、完投できません」ということになる。

 なぜ松坂君(松坂大輔)があそこまでヒーローになったか。いまでもヒーローなのか。98年の夏の甲子園。「限界に挑む姿」が、見る者の心を揺さぶったからだ。

 PL学園高との延長17回の死闘。250球完投勝利。試合終了後、PL学園高のナインがみんな松坂君に握手を求めた。あんなシーン、初めて見た。

「思い出」は他人に押し売りできない。でも、あれはいまでも観戦者の思い出に深く残る。胸に、まぶたに、脳裏に焼きついているのではないか。

 決勝戦では嶋清一さん(海草中)以来、59年ぶり史上2度目のノーヒットノーランで、春夏連覇を達成した。

 私は甲子園の土を踏めなかった。だから、甲子園出場を果たした選手には畏敬の念を抱く。甲子園の開会式は神聖なものであり、テレビの前で正座をして臨む。

 中でも甲子園の大ヒーローだった松坂君は、私の憧れだ。ストレートが速い、スライダーは力強く曲がる、馬力もある。あれだけの球数をほおれるのは精神力の強さ。

 松坂君が西武に入った1年目の高知市・春野キャンプ。中腰の捕手に200球以上投げた。捕手を座らせてなら誰でも投げられる。中腰だと、低目にワンバウンドしてはいけない。高目にスッポ抜けてもいけない。それをビシーッと200球以上続けるのは、肩の強さが、スタミナが、何よりそこに投げるんだという強い精神力が必要だ。すごい子だな、と驚いた。

 99 年プロ初登板、片岡篤史君(日本ハム)に投じた155キロで鮮烈デビュー。5月のイチロー君(オリックス)との初対戦では3打席連続奪三振。「プロでやれる自信が確信に変わりました」(松坂)という、けだし名言を残した。

 結局16勝。「高卒新人最多勝」は54年宅和本司さん(南海)以来45年ぶり。続いて史上初「高卒新人3年連続最多勝」も成し遂げた。

 04年には中日との日本シリーズを制し、日本一を経験。06年・09年WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界一、連続MVP。08年レッドソックスで18勝3敗(94与四球はア・リーグ最多)、07年にワールドシリーズを制し、日米の頂点を極めた初の日本人選手となった。

 

 しかし、11年に右ヒジを痛め、トミー・ジョン手術。以降、苦闘が続いていた。

 18年に中日で6勝を挙げて復活した。走り込みの成果なのか、リリースポイントにバラつきがなくて、球に勢いがあったし、投げたあとのフォロースルーもよかった。

 だが、昨19年の登板。私は「もうこの力だったら現役続行は難しいです」とはっきりラジオ放送で見解を述べた。

 今年「不惑」の40歳。若いときのような球はいかない。しかも右腕のしびれで、7月に右頸部を手術。全治2〜3カ月。

 ただ、松坂君は投げることに関して「野球の申し子」だ。普通の人には真似できない「何か」を持っているはずである。

<第4回に続く>