適切な自己肯定感って?「あるがままに生きる」と「自分を肯定すること」の違い/精神科医Tomyの自分をもっと好きになる 「自己肯定感」の育て方①

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公開日:2021/1/30

Twitter上で多くの人の不安や悩みを吹き飛ばしてきたTomy先生が、自己肯定感を見つけて育てていく方法を、さまざまなケースから読み解きます。これであなたも、肯定感が持てないパターンと対策がわかる!

精神科医Tomyの自分をもっと好きになる 「自己肯定感」の育て方
『精神科医Tomyの自分をもっと好きになる 「自己肯定感」の育て方』(精神科医Tomy/マガジンハウス)

自己肯定感って何? 必要なもの?

 まず自己肯定感について考えてみたいと思います。実はこの言葉、言葉の定義が曖昧で、はっきり決められたものではないのよね。でも言葉の定義を曖昧にしたままお話を進めてもわけのわからないことになるので、この本での定義を決めておこうかなと思います。

 ここは言葉通り「自分を肯定できている感覚」でいいと思うわ。問題はその次、自己肯定感には適切な自己肯定感と、不適切な自己肯定感があるのよ。

 もちろん目指すべきは適切な自己肯定感よ。楽に生きられるようにすることが目標なんだから、適切な自己肯定感をもてなければ意味がない。じゃあ、適切な自己肯定感とは何か。

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 それは自分のあるがままを肯定できている感覚でございます。

 ポイントは「自分のあるがまま」というところね。単純に「自分を肯定すること」だととらえてしまうと、不適切な自己肯定に陥ることがあるわ。そして、この「不適切な自己肯定」というのは、肯定したつもりで、実は何も肯定できていないのよ。

 ちょっとわかりにくいと思うのでいくつかの例を出してみたいと思います。

●ファッションに詳しく、人からかわいいと言われることの多いA子(17歳)

 A子さんは自分がかわいくないと思い、気にしていた。高校に入り思いきってダイエットを始め、ファッション好きな友達に洋服の選び方やお化粧の仕方を教えてもらい研究した。

 おかげで1年ほど前に比べ、自分でも見違えるほどかわいくなったと思っている。最近は同級生を見ても「うん、私はいけているほうだな」と思って安心することが多い。でも幼馴染みから「なんだか周りを馬鹿にしているような発言が増えてきて気になっている」と言われてしまい、ケンカになった。自分を肯定できているはずなのに、なんとなく疲れている。

 さて、A子ちゃんの場合、「自分の見た目が肯定できなくてつらい」と感じていたようです。だからこそダイエットをし、ファッションを研究して自分を肯定できるように努力したと思うのよね。

 それはうまくいったはずなのに、幼馴染みからは否定的なことを言われ、なんとなく疲れてしまっている。

 これは、よく見られる不適切な自己肯定の一つです。肯定できないことを克服して肯定する。一見王道に見えるけど、本質的な解決にはつながっていないのよ。

 何が問題なのかというと、見た目がよくないと自分を肯定できないという点では何もA子ちゃんは変化していないからなの。正しい自己肯定は自分のあるがままでよいと認めること。A子ちゃんはあるがままでいいとは思えていない。見た目がよくないと価値がないと思っちゃっているわ。

 だから見た目のよくない人を見ると上から目線になってしまう。そして、自分を常に他人と比較して安心しようとするから、心休まるときがないのよ。これが疲れの原因ね。

 じゃあどういったものが適切な自己肯定かというと、「見た目はどうでもいい」と思うことなんです。

 一般的にかわいいのか、かわいくないのかは考えてもしょうがない。これが自分なんだから。ファッションは楽しんでもいいけれど、優越感に浸るためじゃない。お洋服が好きで、自分に似合うものを探すのが楽しいだけ。こういう感覚が自己肯定なのよね。この場合は自分のあるがままを認めているから、楽に生きられるのよ。

 もう一つぐらい例を挙げてみましょうか。

●成績をめきめきと上げ、自信がついたB太郎(15歳)

 B太郎君は、もともと成績が悪く劣等感を感じていた。それを克服しようと、親に頼んで塾に通わせてもらい、勉強もしっかりするようにした。結果、成績もだいぶ上がり、先生からの評価も上がっていた。しかし苦手な問題が多いときは順位が悪くなり、けだるくなってやる気をなくしてしまう。

 もうおわかりよね。B太郎君も、成績を上げて自己肯定をしようとした。だけど、根本的には「成績がよくないと自分には価値がない」と感じている部分では以前となんら変わりがない。

 成績をよくすることは大変素晴らしいけれど、成績が悪ければ自分に価値がないわけじゃない。

 自己肯定すると言いつつ、不適切な自己肯定のために問題が解決していない、あるいは先送りになっているだけってことはよくあるのよね。

 なので大切なことはただの自己肯定ではなく、「適切な」自己肯定にあります。

 この「適切に」というのは、大きく二つの面で適切である必要があると思っています。

 まず、程度。ひたすら肯定すればいいというものでもなく、肯定できていなくてもいけない。適切な程度とはどういうものかというと、「他人と比べることのない程度」なのよ。

 他人と比べて優越感をもつ場合は、肯定しすぎている。

 他人と比べて劣等感にさいなまされているときは、肯定が足りないのよ。

<第2回に続く>

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