いつかは訪れる別れの瞬間。家族を後悔させず、入所者を一人で逝かせないために、施設ができること/介護施設で本当にあったとても素敵な話⑥

暮らし

公開日:2021/2/18

もはや、介護は誰にとっても他人事ではない時代。著者で医師の川村隆枝さんが実際に見た介護施設は姥捨て山ではなく、入居者にとって“楽園”のような場所でした。「自分の親を施設に入れて大丈夫?」そんな心配を持つ人々に教えたい、介護施設で本当にあった心温まるエピソードの数々。その一部をご紹介します。

70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話
『70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話』(川村隆枝/アスコム)

最期は、安らかな顔で

 老健たきざわの入所者の要介護度(介護の必要性を五段階で分けたもの)は、四〜五。重度者が多いため、施設が人生最後の場所になることも少なくありません。

 

 私たちは、入所者の体調が悪化すると、家族を呼び、命の終焉が近いことを伝え、延命処置の有無について意向を聞きます。

「静かに看取りたい。だから、延命処置は不要です」と、入所前はそう答えた家族も、いざというときはやはり悲しさを堪えることができなくなります。

 それは、「ご臨終です」と伝える私たちも同じです。

 こればかりは、何度経験しても慣れることはありません。これからも永遠にこの思いは続くと思います。そんな私たちにとって救いなのは、ほとんどの方が、安らかな顔で最期を迎えられることです。

 

 そして、この世に別れを告げた方たちは、遺された人たちに様々なものを置いていきます。

 最たるものは、相手と過ごした時間です。

 忘れようとしても、容赦なく記憶は浮かんできます。笑っていた顔、喜んでいる顔、怒っていた顔、悲しんでいる顔。叱られたこと、誉められたこと、悲しませたことなどが懐かしくも切なく思い出されます。

 そして、涙が止まらなくなる。

 人は誰でもいつかは死ぬとわかっているはずなのに。

 

 私は、最愛の父と夫に別れを告げましたが、無念なことに、私は二人の最期に居合わせることができませんでした。

 父を失ったときは、その無念さと死に立ち会えなかった自責の念に耐えられず、今までにない喪失感と絶望から身動きできないくらいでした。一〇年以上が過ぎて、やっと眠れるようになった頃、今度は夫と別離することになります。

 突然の悲報に、私は言葉を失いました。

 とても寂しがり屋だった人が、誰にも看取られず一人で逝ってしまったのです。

 

 医師のくせに、夫の状態を想定できなかったことをいまだに悔やんでいます。寂しさと悲しさで嘆いていた私に、母はそっと言いました。

「これは寿命よ。今は悲しいと思うけど、日にち薬で心を癒しなさい」

 日にち薬。時間の流れが悲しい感情を少しずつ和らげてくれるというものです。

 確かに、ほんの少しですが、私は前を向けるようになりました。

 そして今、私は夫と出会ったことに感謝して、たくさんの思い出を心に残してくれた彼の分まで私の人生を有意義に生きようと思い始めています。

 

 そんな過去がある私には、家族に見守られて旅立つ人が幸せに映ります。

 だから私は、臨終を伝えると、静かにその場を後にします。

「長い療養生活でしたが、ご苦労様でした。安らかにお休みください」と心の中で祈りながら。

70歳の新人施設長が見た 介護施設で本当にあったとても素敵な話

遠く離れた場所で、一人で逝かせたくはない

「食が細くなりました」

 朝の回診時、師長の誘導で私は九二歳の橋本さんのベッドに近づいていきました。橋本さんは点滴を受けながら静かに目を閉じています。

 

「具合、どうですか?」

 私の問いに、橋本さんはしわくちゃな顔面をさらにしわくちゃにして首を振ります。具合が悪いのか、悪くないのかよく分かりません。

「朝は食べました?」

 橋本さんは目を閉じたまま、再び首を振ります。

「食べないと力が出ないですよ。デザートだけでもどうですか?」

「……、何かは食べる」

 面倒くさそうに言う橋本さん。気が向いたら好きなものを食べるからという意味なのだと私は考えました。

 部屋を出ると、師長が私の指示を仰ぐためにピタリと横につきました。

「このまま食が細くなったら、経管栄養が必要ね」

「分かりました。準備しておきます」

 

 経管栄養は飲み込む力が低下して自力で食事ができなくなったり、橋本さんのように食が細くなってきた人のために別の方法で栄養を摂ってもらう処置です。

 方法は二つ。鼻からチューブを挿入するか、胃に穴を開けて、直接栄養を送り込む装置をつけるか(胃ろう)。

 

 チューブは、ゼリー状の局所麻酔薬を塗ることでチューブを鼻腔から挿入するときの痛みが少なく、挿入してからの負担も少なくてすみます。

 ただ、手を動かせる人は無意識にチューブを抜き取ってしまうので、何度も再挿入するぶんの手間はかかります。

 胃ろうの場合は、全身麻酔による手術のリスクが伴います。

 高齢者は高血圧や糖尿病、心臓病など持病のある人が多いので、リスクが高い方法といえます。しかし、手術を無事に終えれば、よほどのことがない限り外されることはありません。

 

 橋本さんはどちらを選ぶのか。

「ご家族はチューブも胃ろうも希望されていません。点滴のみを希望されています」

 理由は、痛い思いをさせたくないか、経済的負担が大きいかでしょう。この選択で私たちにできるのは、点滴で水分補給をするだけ。栄養を投入できないので、当然少しずつ弱っていくことになります。

 それはとても悲しいことだと思う私は、いつも最後の望みを懸けて、もう一度だけご家族に相談してみるようにしています。

 面談の結果、橋本さんは、鼻からチューブを挿入して栄養補給をすることになりました。人の気持ちは状況によって変わるものです。その都度、相談しながらベストな選択を探ることが大切だと思っています。

 だからこそ、私は常に考えています。

 人は何のために生きるのか?

 生きるとは何なのか?

 身体は動かず、寝たきりで自分の生死も決定できない人間を医学の力で生き長らえさせていいのか?

 それは神様が与えた自然の流れに逆らうものではないだろうか?

 Who knows?(誰も分からない)

 

 私が一つ提案するならば、入所者が元気なときに「もしも」の場合について記してもらうことです。今回のような場合は、「胃ろうを希望」「胃ろうはいらない」「自然のままでいい」など。

「でも、人って気が変わるものでしょ。一年ごとに更新する保険証の裏に書いておくのがいいかもしれないわよ」

 私の友人が言ったことです。それはいいアイデアだと思いました。

 私とご家族との最後の面談で、橋本さんのように処置が変わる人もいれば、変わらずに点滴のみを選択される家族もいます。それが入所者の希望であったとしても、ご家族は何となく後ろめたい気持ちになるでしょう。そういうときは、私はご家族に対してこう伝えています。

「少しでも意識のある間に、会いたい人に会わせてあげてください」

 

 私は突然、何の前触れもなく夫の死を告げられました。

 とてもショックで、言いようのない怒りがこみ上げてきました。

 今でもその感情から抜け出せていない自分がいます。そういう徴候があるともう少し早く知らせてもらえたら、もっと優しくして、もっとたくさん話して、絶対にそばから離れませんでした。絶対に一人寂しく逝かせなかったはずです。

 

 自分が施設長を務めるこの施設では、家族にそんな思いをさせたくありません。

 だから、別れの時期が近づいて来たら、早めにご家族に知らせるようにしています。

続きは本書でお楽しみください。

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