ゴシップと私と家族と友達と/高岡早紀『魔性ですか?』③ 

小説・エッセイ

更新日:2021/5/24

私に毒なんてあるかしら。いや、毒しか出なかったらどうしよう!?「なんで私、いつも魔性の女って呼ばれるんだろう。そんなことないのに……」恋愛観、娘や犬との穏やかな暮らし、仕事のスタンス。ユーモアと毒をちょっぴり含んだ、人気女優、初めての本音エッセイ。

 芸能界に入って約35年、この間には、いろいろなことを週刊誌などに書かれてきました。相手が男性であろうが女性であろうが、誰かと食事に行って、週刊誌に撮られなかったことがない……。記事の内容は、すべてが偽りとは言わないまでも、中には、「えっ、誰のことですか!?」と、当の本人である私が思ってしまうようなものもあったりして……。

 まったく気にならない、ぜんぜん傷つかない、と言えば噓になってしまいます。

 でも、「それは違うんです。本当のところは──」と、いちいち反論すれば自分の気が済むのかというと、それも違う気がしています。私がどう反論しても、人の口を塞ぐことはできません。だったら、言いたい人には言わせておく。それが最善の方法なのかな、と。

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 それに、すごく傲慢に聞こえるかもしれないけれど、私の土俵は、そこではない。

 女優にとって、私生活のゴシップは、躍起になってかき消したり、ムキになって反論したりすべきことではないと思うんです。もちろん、演技を叩かれたりしたら、それはもう本気で闘わなくちゃならないし、その覚悟もありますが。

 子どももある程度成長すれば、嫌でも母親のゴシップを耳にするでしょう。だから、息子たちが大きくなってからは、何度も話してきました。

「ママがいろいろ書かれたりすれば、あなたたちもいい気はしないと思う。だけど、このママの子どもに生まれたあなたたちの運命だから、背負って生きていくしかないの」

 息子たちは解(げ)せない顔をしていたときもあります。でも、今、家族がとても仲良しであることを思えば、彼らは「運命」を受け入れてくれたに違いない。と、母は信じています。

 世間にどんなゴシップが流れようと、「真実はこう」と、自分自身がわかっていれば、それでいい。そして、そんな私を信じて、近くで見守ってくれる少数の人──家族や友達──がいれば十分。また、そういう存在があるからこそ、ゴシップが流れても、「ま、いっか」と思える自分がいたりするのです。

<第4回に続く>