一斉休校で野球部が活動中止に! 窮地に追い込まれた選手たちが取った行動は…? /「一生懸命」の教え方

スポーツ・科学

公開日:2021/8/20

我慢強さがない、打たれ弱い、すぐにあきらめる…。そんな「今どきの子ども」との向き合い方に、悩んでいませんか?

甲子園の常連校・日大三高を率いる名将・小倉全由(まさよし)監督が実践するのは、選手に「熱く」「一生懸命」を説く指導。その根底にあるのは、「人を育てる」ことでした。
個を活かし、メンバーの心をひとつにまとめあげ、強力な集団に変えていく方法とは――?すべての指導者に知ってほしい、本当のリーダーのあり方を教えます。

※本作品は小倉全由著の書籍『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』から一部抜粋・編集しました

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「一生懸命」の教え方
『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』(小倉全由/日本実業出版社)

つらいときでも選手たちが率先して自主練習に励んでいたワケ

 目の前の目標が明確であればあるほど、人はどんなに困難な状況に陥っても、突き進んでいくことができる―。

「明確な目標」があるのとないのとでは、その後の生き方が大きく違ってきます。このことは、新型コロナウイルスの感染拡大で、学校から離れた時期を過ごした選手たちに、私自身が教わりました。

 

未曾有の事態に直面して

 あらためて、2020年は本当にたいへんな1年でした。3月2日に政府の要請で小・中・高校などの一斉休校が始まると、3月11日には世界保健機関(WHO)が「パンデミック(感染症の世界的な大流行)」を表明。3月24日には東京オリンピックの1年順延が決まり、4月7日には政府が東京都など7都府県にはじめて緊急事態宣言を発令、4月16日に全国へ拡大しました。

 3月2日に一斉休校が始まった直後、私は全選手を合宿所から自宅に帰らせました。日本国内はもとより、世界の感染状況を把握するにつれ、「当分は対面での授業も満足にできないだろう」と想定していたからです。そうなれば選手たちを合宿所に戻すのは1か月以上先となり、これまで通りの練習を行なわせることは長期間に渡って不可能となります。

 私は後日、自宅に戻った選手と親御さんを交えて、個別にWEB会議を行なうことにしました。そこでわかったのは、練習が満足にできない現状を選手以上に心配していたのは、親御さんのほうだったことでした。

「今、練習ができなければ、ほかの学校の選手に遅れをとってしまうのではないか」

「満足に練習できる環境がなければ、体力、技術ともに劣ってしまうのではないか」

 至極もっともな話ではありましたが、だからといって「それなら合宿所に戻って練習しよう」などということは、選手たちの感染リスクなどを考えたらできません。

 さらに、一部の親御さんやコーチなどから、「遠く離れていても、練習できるようにメニューを考案してもらえませんか?」という要望もありました。でも、私はキッパリと断りました。なぜなら、選手それぞれの自宅周辺の環境によって、練習メニューをこなせる子と、そうでない子が出てきてしまう可能性が考えられたからです。

 それに、緊急事態宣言が発令されている最中に激しい練習を自宅の周辺でしていたら、近所の人たちから異様な目で見られて苦情がきてしまうかもしれない。ですから、「練習メニューを考案したときのリスク」を考えたとき、私から率先して練習メニューを作成することがマイナスになるという結論に至ったのです。

 このときの私は、「野球部の活動自粛期間中は体力と技術が低下してしまうことは致し方ない」と覚悟を決めていました。

 

 ところが、ほどなくして選手たちが自宅周辺で練習している様子が、彼らのクラス担任の先生を通じて、動画で送られてきたのです。ある選手は、河川敷でダッシュを繰り返し懸命にやっている。またある選手は、自宅周辺のグラウンドでノックを黙々と受けている。

 ピッチャーでエースナンバーをつけていた児玉悠紀(現・青山学院大学)もそうでした。彼は宮崎の子だったのですが、地元に帰ってほかの野球名門校に進んだ選手と一緒にキャッチボールをしている動画を送ってくれたのです。

 それを見ながら、私は「こっちにいるときよりもいいボールを投げているじゃないか」と冗談を言ったりしていました。そして、自ら考えて練習しようとする心構えに頼もしさを感じていました。

 

なぜ、生徒は自主的に動いていたのか?

 なぜ、彼らはハンディキャップを抱えたような困難な状況下であっても、自ら考えて個人練習を行なうことができたのか―。それは、「西東京予選を勝ち抜いて、甲子園に出場する」という目標があったからこそ、できた行動だったと思います。

 例年ならば3月、4月には、夏の甲子園の切符を勝ち取るための厳しい練習を積み重ねていき、春の東京大会やそこで勝ち抜いた先の関東大会、さらには練習試合などを通じて実戦経験を養っていくことができました。けれどもコロナ禍においては、そうしたことがすべてできなくなり、思い通りのスケジュールで進められません。

 ただ、「西東京予選を勝ち抜いて、甲子園に出場する」という目標があったからこそ、自ら考え、率先して練習を積み重ねていくことができた。だからこそ、私があえて自粛期間中に練習メニューを作成しなくても、個々の選手が自ら考えた練習方法で、スキルアップを図ろうとしていたのだと思います。

 

 もし私の高校時代に、今と同じ状況にあったらどうしていたでしょうか? 彼らと同じように「甲子園に出場する」という目標はありましたが、当時は厳しい練習ばかりが前面に出ていたので、恥ずかしながら彼らと同じように自主練習に励んでいた姿が想像できません。

 私たち野球部員と当時の監督とは信頼関係を築けておらず、日頃から「どうやったら休めるか」ということばかり考えていました。そのため、間違いなく「ようし、思い切り休んじゃえ」となっていたに違いありません。それを踏まえて考えると、私の高校時代よりも今の選手たちのほうが立派だなと、感心しています。

 自分からやるべきことを見つけて率先して行なう。そのためには明確な目標があったほうがいい―。コロナ禍で窮地に追い込められてあらためて、そのことに気づかされた思いがしました。

小倉流ルール 目標があるから、人は自ら動く

<第3回に続く>

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