11年間甲子園とは無縁の日大三高が予選で準決勝へ! 部員たちを変えた監督の言葉とは?/「一生懸命」の教え方

スポーツ・科学

公開日:2021/8/22

我慢強さがない、打たれ弱い、すぐにあきらめる…。そんな「今どきの子ども」との向き合い方に、悩んでいませんか?

甲子園の常連校・日大三高を率いる名将・小倉全由(まさよし)監督が実践するのは、選手に「熱く」「一生懸命」を説いた指導。その根底にあるのは、「人を育てる」ことでた。
個を活かし、メンバーの心をひとつにまとめあげ、強力な集団に変えていく方法とは――?すべての指導者に知ってほしい、本当のリーダーのあり方を教えます。

※本作品は小倉全由著の書籍『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』から一部抜粋・編集しました

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「一生懸命」の教え方
『「一生懸命」の教え方 日大三高・小倉流「人を伸ばす」シンプルなルール』(小倉全由/日本実業出版社)

目標は、選手とその熱い思いまでを共有する

 私は3年生や2年生のプライドを踏みにじるような思いをさせたくないと思い、毎年「甲子園出場」を目標に掲げて指導にあたるようにしています。

 しかし、日大三高に来てから2001年の夏、11年の夏と2度の全国制覇を経験できましたが、投打に渡って全国を制するレベルの選手がそろうことなど、そう何度もあるわけではありません。

 

やる気をなくしていた3年生を変えた言葉

「投手はいいけど、打撃陣が小粒」の年もあれば、「打撃はよくても、投手陣が弱い」という年もある。もっと正直に言えば、「投打ともに甲子園に出場するのは厳しい」という年だってあります。

 それでも私は、毎年のように「甲子園出場」を目標に掲げて選手たちの指導にあたっています。そのことの大切さを身をもって痛感したのは、私が三高の監督に就任した1997年のことです。

 

 当時の三高は、夏だけで言えば85年を最後に11年間、甲子園から遠ざかっていました。それ以前には79年の夏に出場していましたが、さらに前となると62年になり、夏は実に17年も空いてしまっていたわけです。春に比べて夏の甲子園出場が少ないにもかかわらず、さらに4月の年度替わりから新監督が来たとなると、3年生は「自分たちの代では甲子園出場という目標を果たすのは難しいのではないか」、そう考える部員がいたって不思議な話ではありません。

 けれども私の考えは、彼らとは180度異なりました。三高に監督としてやってきたその日のうちに、3年生を含めた全部員を前にしてこう宣言したのです。

「いいか、今年の夏は甲子園を目指すぞ。みんなで一丸となって、熱い夏にしていこう」

 私の言葉を聞いた3年生が、「えっ⁉」と目を丸くしたのを今でもよく覚えています。三高に来る直前まで、私は関東一高の野球部の監督を務めていましたから、三高の3年生の個々の選手の特徴など、まったく把握していません。それにもかかわらず、甲子園出場を目標に掲げたのは、「3年生が高校野球に対して情熱を持ち続けて、胸を張って堂々と戦って終えてほしい」という願いがあったからです。

 

達成感を味わわせる

「甲子園に出場する」という目標があれば、そこに向かってやるべきことを個々の選手が真剣に取り組んでいきます。

 途中、うまくいかないこともいくつかあるかもしれませんが、試行錯誤しながらどうにか乗り越えていこうとしていく。そのプロセスを3年生から1年生までの選手全員で共有して、「甲子園に出場する」という目標を目指していけば、上級生と下級生の間で熾烈なレギュラー争いが生まれ、チーム内が活性化されていく。私はそう考えていたのです。

 実際、3年生は目の色を変えて練習に取り組み続け、その成果が3か月後の夏の西東京予選で発揮されました。2回戦で館(現・都立翔陽)に15対4で勝利すると、3回戦、4回戦、5回戦、さらには準々決勝の佼成学園戦も10対3で圧勝しました。

 あと2つ勝てば、甲子園に出場できる―。けれども準決勝の堀越との試合では、終盤にリードされ、4対6で敗戦。結局、この年は私たちに勝った堀越がそのまま甲子園に出場したのです。

 甲子園出場を逃した瞬間、3年生全員、悔しさで涙がこみ上げていました。けれども、同時に「やり切った」という達成感もあったと、彼らが言ってくれました。三高の合宿所に戻って3年生たちに最後のミーティングを行なったとき、当時のキャプテンが、こう言いました。

「短い間でしたが、小倉監督と一緒に野球ができてよかったです。本当にありがとうございました」

 その感謝の言葉を聞いて私は、「彼らと一緒に熱くなることができてよかった」と安堵したのと同時に、目頭が熱くなったのです。

 

 実はこのときの3年生とは、今でも強くつながっています。三高野球部ではOB同士が一堂に集まる親睦会が年に1度開催されるのですが、このときの3年生世代のOBが中心になってすべてのOBに声がけをする役割を、率先して行なってくれているのです。時間にしてわずか4か月くらいのつき合いしかなかったにもかかわらず、ここまでよくしてくれるのには、毎度のことながら私もただただ頭の下がる思いで、心から感謝しています。

 

 もし私が、3年生を見捨てて、2年生や1年生を大事にしようとしていたら、今のような良好な関係はなかったでしょうし、OB同士のつながりを深めていくことだってできなかったはずです。

「甲子園出場」というひとつの目標に対して、監督と選手が一体となって、熱い時間を共有できたからこそ、その後の人間関係によい影響を与えてくれていると、私は今でもそう強く信じています。

小倉流ルール 目標へのプロセスは全員で共有する

<第5回に続く>

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