大つごもりの仕事とかんずりのうどん/生物群「やさしい食べもの」①

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/29

 自炊をこよなく愛する内科医・生物群による、どこまでもやさしい食エッセイ。忙しない日常のなか、時に自分を甘やかし、許してくれる一皿の話。今回のタイトルにある「大つごもり」の「つごもり」とは、月がこもること、月の光が見えなくなることを指します。陰暦では月が隠れる時期が月末にあたったことから、月末を「つごもり」と呼び、年の最後の大みそかのことは「大つごもり」と呼ぶことがあります。

 大つごもりは、病棟より往診の仕事が好きでした。

 12月31日は家の人々の生活がハレを迎えるからです。往診に行った先々のおうちで、いつもと違う浮き足立った空気があり、家にいる患者さんも、そのご家族も、にこにこしています。団地に漂う出汁の匂い。炊ける豆の匂い。炊ける米の匂い。お出汁の匂いは、おせちのなかのお煮しめを作ってるんだろうか。翌日朝食べるお雑煮のつゆなのかな。皆が大きな鍋でお湯を沸かしている雰囲気があり、暖かさと湿度の感じがいつもと違います。下町の町工場のあいだを白衣を着て聴診器を持って入っていき、おうちのインターホンを鳴らしてから引き戸を開けて「こんにちは」と声をかけて入っていきます。その年最後の診察をしたあとに、「先生もよいお年を」と声をかけてくださる人の顔は祝福に満ちています。

 年末年始も途切れず仕事をしているんですか? と驚かれることがあります。12月20日を過ぎたあとに往診に行くと、患者さんがみんな「先生、よいクリスマス、よいお年を」って言ってくださいますが「安心してください、31日も来ます」と言って「あら、そうだったんですか?」と言われ、笑いあいます。その年最後の往診日には、1年、病気を持ちながらもおうちで生きてこられた患者さんたちと、ひとりひとり1年大変な中ほんとうによくがんばられましたねと振り返りをします。家族がいなくて、ひとりきりで年越しをする人とも、こうやって2人で一緒に振り返ることができて嬉しいですとお伝えします。

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 一昨年までは、12月になると途端に社交や飲酒の機会が増えて、人と話したときの自分の失敗に敏感になったり、自宅で安静にする機会や自炊で好きなものを食べる機会が減っていて、体調が変化しやすくなっていました。油にやられたり、塩分にやられたり、炭水化物にやられたり、アルコールにやられ、精神的に揺れ動き、身体的にいろいろなものにやられて回復するのに時間がかかる時期だったなと思います。

 そういうとき、以前、お酒をよく飲む友人に教えてもらった回復食があり、ときどき食べています。必要なのは乾麺のうどんとかんずり。かんずりというのは、新潟の唐辛子の発酵調味料です。出汁は使いません。塩味の乾燥うどんの茹で汁がこのかけうどんの出汁つゆになります。乾麺のうどんをつるつる、しこしこになるまで茹でる。茹で汁とともにかけうどんにして器によそう。かんずりのかたまりをたっぷりの茹で汁のつゆの中に落とし、少しずつ溶けていくのを味わいながら啜る。ほかに合うのは、大根おろし、おろした生姜、刻んだ葱などで、入れると味の幅がより豊かになります。かんずりの名は「寒づくり」からきているそうです。夏に収穫された真っ赤な唐辛子を塩漬けにし、季節がめぐりその土地の雪が深くなったころ、冬の晴れた日に、積もった真っ白な雪の上にその真っ赤な唐辛子の塩漬けをさらし、雪にその塩分を吸わせると聞きました。白いうどんと透明なお湯のかけつゆの中にかんずりを落とすとき、雪にさらされた唐辛子のことを考えます。塩の味だけの淡白なうどんの中に、発酵した唐辛子の辛みとどこか甘い風味の混ざった、お風呂に浸かったような気持ちになるうどんです。

 疫病が流行したことが理由で、私は大好きだった往診の仕事をやめることになりました。今年の大つごもりに患者さんと「よいお年を」と言うことがないのは寂しいなと思います。自分にとっては感染症の診療で大変な1年でした。「来年は良い1年になりますように」と願うとき、それはこれまでになく本当に切実な言葉になりそうです。

<第2回に続く>

生物群(せいぶつぐん)
東京在住。都内病院勤務の医師。お酒と食事が好きで、ときどき帰宅してから夜寝る前まで料理を作り続けてしまいます。


Twitter:@kmngr