明治十年、その侍は霊歌を口ずさむ――「ゴスペル・トレイン」試し読み【1/4】

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/1

『熱源』で直木賞を、『パシヨン』で中央公論文芸賞を、
それぞれ受賞した川越宗一、初の短編集単行本となる『福音列車』。
同作の中で、最も編集部内で人気の高い「ゴスペル・トレイン」を、
カドブンで全文公開いたします。

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川越宗一『福音列車』より「ゴスペル・トレイン」試し読み【1/4】

「死にたくないなあ」
 確定してしまった明日の予定について、しまけいろうはごく軽い口調で嘆いた。
 丘の中腹に、啓次郎はたたずんでいる。夜空には満月だけがこうこうと輝き、星を思わせる無数の光点は眼下の闇にちりばめられている。八個旅団、五万人を数えるという政府軍が野営するかがりだ。昼であれば、焼け野原になった鹿児島城下の市街地も一望できただろう。
 秋の風が襟まで届く長い髪をくしけずってゆく。ひそやかな自慢だった舶来のフロックコートはあかほこり、ほつれ、擦り切れだらけになってしまった。無理やり巻いたおびに突っ込んだ大小二刀は相変わらず重い。
 維新の英雄、西さいごうたかもりが政府の非を問うとして兵を挙げたのは七か月前。啓次郎は時の熱気にてられた同志たちの頭領に推され、郷里の日向ひゅうがわら(現宮崎市)に開いたばかりの学校を引き払って挙兵に加わった。
 意気揚々と鹿児島を発した西郷軍はきゅうしゅうの各地で戦い、敗れ、退き、しろやまと呼ばれる丘陵に立てこもっている。一万数千の軍勢はいつのまにか四百名足らずにしぼんでいた。
 ――明日、総攻撃を行う。
 城山を包囲する政府軍が寄こしてきた最後通告に対して、西郷軍の幹部たちは無視すると決めた。その勇ましさは称賛に値するかもしれないが、おかげで啓次郎の余命も決まってしまった。
「前途洋々たる若者を内乱で無為に戦死させるとは一体どういうことだ。理不尽極まる。納得がいかない」
 周囲に誰もいないのをいいことに、がとめどなく出てくる。
「まあ、身分に捕まってしまったということか」
 啓次郎は庶子ながらも大名家に生まれた。いまなお、その血筋は敬されている。裏返せば、きょうなふるまいは郷里佐土原の恥となる。だから、逃げられない。戦って死ぬしかない。因習を打ち破ると宣言してはじまった明治の世にありながら、いつのまにか因習に絡め取られてしまった。
「だいたい、ぼくは死ぬには早すぎる。まだ二十一歳なんだぞ」
 背後の少し離れた場所は、惜別のうたげで騒々しい。ひとしきり酒が回ったらしく、いまは調子の外れた野太い声が上がり、わりあい巧みなさつの音が悲壮に彩っている。
 啓次郎はひとり、頭上を仰ぐ。宴につられて、だが別の歌をうたった。

  The gospel train is coming(福音の列車が来る)
  I hear it just at hand(その音がすぐそばで聞こえる)
  I hear the car wheels moving(車輪のうなりが聞こえる)
  And rumbling thro’ the land(大地が鳴り響く)

  Get on board, children!(さあ乗り込もう、子供たちよ!)
  Get on board, children!(さあ乗り込もう、子供たちよ!)
  Get on board, children!(さあ乗り込もう、子供たちよ!)
  For there’s room for many a more(客室はまだまだ余裕があるさ)

 歌の題は「ゴスペル・トレイン」という。律動は陽気で、ことばも明るい。死出の供には似つかわしくないが、曲のわれと真意を啓次郎は知っている。
 自由であるはずの神のみ国が必ずあるという希望、そこへ向かってあきらめず自ら進むという決意を込めて、米国の黒人奴隷はこの曲をはぐくみ、うたい継いだ。いつ終わるとも知れぬかんなんの暗闇にいたからこそ、曲は光が跳ねるような軽快な調子を獲得した。
 米国に留学していた三年前の夏。奴隷の子だったという男はそう教えてくれた。啓次郎は留学の目的だった海軍兵学も英語もそっちのけで歌を習った。東京の政府に歯向かう大反乱に加担して討伐されるなど、当時は考えてもいなかった。
「この歌、人前でうたったことがないな。せっかく覚えたのに」
 戦死の間際に湧いた感慨は、ごくごくさいなものだった。

 三年前の六月。
 啓次郎はアメリカ合衆国東岸、メリーランド州アナポリスの海軍兵学校に学んでいた。
 アナポリスは海運で栄え、合衆国独立時の首都だったという由緒を持つ。イギリス植民地時代の古風な街並みには船乗り、旅客、積み荷、労働者、馬車があふれていた。
 兵学校は長期休暇に入っていた。寮はがらんとしていて、第一学年にあたる四号生の年度を無事に終えたばかりの啓次郎は暇を持て余し、読書や復習の真似事にも飽き、夏の暑さにへきえきし、たまらず街へ出た。
 二列の金ボタンを並べた紺の詰襟服に白いズボンという兵学校の制服は嫌でも目立つ。とはいえ私服での外出は許可されていない。心持ち背を丸め、夏の遅い西日が注ぐ目抜き通りを抜け、細い路地へ入った。
 雑多な建物がひしめく一角、「ミハイロフの店」という看板を掲げた飲食店の扉をそっと開くと、ひと仕事を終えた労働者たちのけんそうに迎えられた。
 奥の演台ではせぎすの男が笑い話を披露していて、しかし誰の視線も浴びていなかった。ご苦労なことだと思いながら啓次郎は汗と酒の臭いを潜り抜け、カウンターの空席に腰を下ろす。
「おや、ケイ。今日は早いね」
 店主のミハイロフ氏が、さかだるほども豊かな体を揺らして近づいてきた。
「定刻前行動は海軍士官の大事な心懸けだからね」
 そう返した啓次郎には定刻どころか、やることも行くあてもない。ミハイロフの店はひとりでも居心地がよく、ある休日に見つけて以来、通い詰めている。
「学校は休みだろう。故郷には帰らないのかね」
「遠いし、何より旅費がない」
 正直に答える。ミハイロフ氏はうなずきながら、あめいろの液体を注いだグラスをそっと置いてくれた。
「日本が遠いのはわかるが、金はあるだろ。きみの家は貴族なんだから」
「貴族と言っても大小いろいろあってね。ぼくの家は、ごくごくつつましい」
 肩をすくめ、啓次郎はいつものブランデーをあおる。けるような感触が胸を下り、数えで十八歳の肢体に広がる。もれた吐息はもう熱い。背伸びをしているという自覚はある。
「シチーでいいね」
 店主は自慢のメニューを挙げた。キャベツと牛肉、その他あれこれの具材をじっくり煮込んだロシアの料理で、ミハイロフ氏にとって故郷の滋味でもあった。ただしアナポリスの港湾労働者には塩気が薄いようで、暑い夏にも熱々のシチーをしつこく薦める店主のやりようと相まって、「あれだけはいただけない」と常連客にも不評だった。
「うん、頼むよ」
 啓次郎は素直にうべなう。「お育ちのゆえか、啓次郎どのは断ることをご存じでない」とは、渡米に同行した日本人からの評価だ。
 啓次郎は佐土原藩主、島津ただひろの三男に生まれた。父の信頼あつい家臣に養子に出されて以来、まちの名字を名乗っている。
 佐土原島津家は、薩摩島津家の分家にあたる。二万七千余石という所領はごく小さかったが、維新では本家とともに官軍について軍功を上げた。当主忠寛は進取の人で、町田家へやった啓次郎も含めて息子たちを米国に留学させた。
 啓次郎はまず英語学校で学び、次いで日本の新政府が苦心して得た海軍兵学校の外国人入学枠に入れられた。卒業して帰国すれば、建軍間もない日本海軍の将来を担うこととなるだろう。将来がひらけたと周囲にも実家にも喜ばれたが、啓次郎の感情は複雑だった。
 大名家に生まれ、誰もがうらやむ洋行を許され、将来の職もある。全て、自ら望んだものではない。実家や国家の期待に四肢を縛られ、あらかじめ用意された世界に漂うしかないらしい人生は、若い啓次郎にあんより疎ましさを覚えさせた。
 そのせいか、兵学校に入ったあたりから糸が切れたように向学の意欲がせてしまった。試験の点数はみるみる下がり、代わって罰則点がぐんぐん上がった。
「傷はもう治ったのかね」
 いったん奥に下がったミハイロフ氏が、湯気の立つシチーの皿を持って再び現れた。啓次郎は包帯に包んだ右手でスプーンを持った。
 少し前、学校で決闘をした。傷はその時に受けた。
「もともと大したことはないんだ。甲の皮を切られただけだから」
 啓次郎は笑顔で答えたが、胸には苦みが広がった。
 海軍兵学校では、校則で禁じられた酒を楽しむ秘密の会が夜な夜な開かれる。ある日の会で、啓次郎は大名の子息としての生活を面白おかしく披露し、そのような階級のない米国の生徒にたいそう受けた。
 兵学校の生徒たちだから、雑談の話柄はしぜん戦争に及ぶ。維新に続いたしんの内戦は、かっこうの戦例として米国にも知られていた。
「ケイも戦ったのか」
 あだを交えて飛んできた質問に、啓次郎は首を振った。
「ぼくは子供だった。父が天皇エンペラーのために領地から兵を出した」
 佐土原の兵はからとうほくまで半年にわたって勇戦し、藩の面目を施した。がいせんしきのおり、東京藩邸の庭に整列した士卒のたくましい顔つき、戦死者の名を粛々と読み上げる声は、父の後ろに座っていた啓次郎の目と耳に強く焼き付いていた。
「きみの父上は、何人くらいの兵を出したのだ」
「四百人前後だと聞いているけど」
「少ないな」
 ごく当たり前の感想を啓次郎は否まなかったが、「それだけでは戦局になんら寄与しなかっただろう」と続けられると、体が勝手に動いた。しりのポケットに突っ込んでいたはずの白手袋が虚空を飛翔し、笑ったばかりの相手の鼻面に当たった。
「決闘か」
 手袋をはぎ取った生徒の震える声で、啓次郎は初めて知った。
 どうやら自分は、故郷に誇りを持っていたらしい。
 宿酔を考慮して、決闘は二日後となった。
 自習を放り出して寮の裏に集まった生徒たちがはやし立てる中、啓次郎はサーベルを抜き、「扱いにくい」と内心で不満を覚えた。いちおう武門の出であるから、剣のけいは日本でみっちりやらされている。だが、両手で使う日本の刀と片手で握るサーベルでは勝手が違う。
「扱いにくい」
 今度は声に出し、腕慣らしで何度か振り回す。それなりに様になっていたようで、生徒の人垣から「おお」という無責任な感嘆の声が上がった。
 かたや相手は、構えからなっていなかった。貴族も戦士階級もない米国人にとって刀剣は日常から親しむものではなく、たいていは陸海軍の士官を養成する学校に入って初めて触れる。不慣れであるのも、当然と言えば当然だった。
 ――四民平等。
 日本でその言葉が盛んに使われたのは啓次郎が米国へってかららしいが、佐土原の士卒が命懸けで切り拓いた新時代とは、刀剣もろくに持てぬ者が胸を張っていられる世なのかもしれない。などと考えていると、頼りない斬撃が迫ってきた。
 決闘は前触れなく始まった。相手がしゃにむに繰り出す刃を、啓次郎は身をよじって避ける。型も何もないからむしろ剣筋が読みにくく、何度目かに繰り出された刃が右手の甲をかすめた。
 格下相手にむきになっても、とためらっていた啓次郎もさすがに本気になった。次の斬撃を思いきり跳ね返し、体勢を崩した相手の胸板に鋭くサーベルを突きだす。寸前で止めるつもりではあったが、そこで教官の怒鳴り声が割り込み、決闘は勝負つかずで終わった。
 啓次郎にとっては「あのままならケイが勝っていた」という評判より、右手の傷のほうがはるかに重要だった。多少の自負があった剣の腕すら、素人に傷をつけられる程度にとどまる。身を自由に処しえる立場にないだけでなく、そもそも自ら処するような力も持っていないという事実は、啓次郎を底の見えない無力感に突き落とした。
「どうした、ケイ。いかね」
 ミハイロフ氏の心配そうな声で、啓次郎は我に返った。右手の包帯をぼんやり眺めている間、持ったスプーンはほとんど使っていなかった。
「いやいや、おいしい。いつもどおりの味だよ」
 慌てて答え、見せつけるようにがつがつと食べ、「アツッ」と思わず日本語をもらす。ミハイロフ氏は満足げにうなずくと、別の客の応対に去った。
 必要もないのに啓次郎は急いで食べ終えた。顔を上げると店内は静まり返っている。さっきまで陽気に騒いでいた立ち飲みの客たちが、あざけりめいた薄ら笑いを浮かべたまま一点を凝視していた。
「ひっこめ、黒ん坊」
 誰かの叫びが契機となって、店にはせいが渦巻いた。

(つづく)

作品紹介

福音列車
著 川越 宗一
発売日:2023年11月02日

日本史が世界史と激突する瞬間のきらめく5つの福音を、直木賞作家が描く!
「福音の列車が、やっと日本にも来る。このやかましく、血なまぐさい戦闘の騒音とともに」

国と国の歴史が激突するその瞬間、その時代を活写した5つの物語。

明治維新の後、アメリカの海軍兵学校に留学した佐土原藩主の三男・島津啓次郎。彼はスピリチュアル(黒人霊歌)と出会い、これにぞっこんに。しかし、歌うにはソウルとガッツが必要だと言われる。「ゴスペル・トレイン」

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