「孤狼の血」「佐方貞人」シリーズ著者による初のオムニバス短編集――『チョウセンアサガオの咲く夏』柚月裕子 文庫巻末解説【解説:吉田大助】

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/9

デビューから15年、ベストセラー作家が紡いできた初のオムニバス短編集
『チョウセンアサガオの咲く夏』柚月裕子

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『チョウセンアサガオの咲く夏』文庫巻末解説

解説
よし だいすけ(ライター) 

 本書は、おおやぶはるひこ賞受賞の「かたさだ」シリーズ、日本推理作家協会賞受賞の「孤狼の血」シリーズなどで知られる、づきゆうの二〇二四年春現在唯一となる独立短編集だ。作家は第七回『このミステリーがすごい!』大賞受賞のデビュー作『臨床真理』(二〇〇九年刊)以来、長編および連作短編集を基軸に活動してきたため、単発で発表した短編は少なく、初期に集中している。そのため本書を、柚月裕子のアーリーワークス+αと位置付けることができるかもしれない。貴重かつ、この作家が初期の頃からエンターテインメント精神にあふれていた事実と共に、尽きせぬ挑戦心の持ち主であることが示された一冊だ。そして、第一編から第十編までのアーリーワークスと、+α(最終第十一編)を比較検討してみることで、作家の変わった部分と変わらない部分について思いを到す……そんな読み方ができる一冊にもなっている。
 アーリーワークスは、三つのタイプに分けられる。一つ目は、本書の表題作となる第一編「チョウセンアサガオの咲く夏」に象徴される。
 やまあいの田舎町にある実家で暮らすは、認知症で半分寝たきりの母・よしを看病している。往診にやって来たかかりつけ医のひらやまは「三津子ちゃんはほんとに偉いなあ」と献身ぶりをねぎらいながら、母を施設に預けるという選択肢もあるとほのめかし、新しい人生を共にする男性も紹介できると伝える。しかし、三津子はきっぱり断る。「先生のお心遣いはありがたいんですが、私、いまのままでええんです。母は手がかかる私を、ずっと大事に育ててくれました」。その恩返しがしたいのだ、と。三津子の唯一の趣味は、園芸だ。真夏の庭には今、チョウセンアサガオの白い花が咲いている。毒性を持つ植物であるため、手入れは慎重に行わなければいけなくて──。おそらく読者は最終盤で二度、驚くことになるだろう。いや、一度目の時は「やっぱりね」と思っているかもしれない。主人公の関係性に潜む秘密を当てたつもりになっているからこそ、その数行後に訪れる二度目の驚きが倍増する。
 本作の初出は、『5分で読める! ひと駅ストーリー─夏の記憶─東口編』という書き下ろし文庫アンソロジーだ。柚月裕子のアーリーワークスの多くは、『このミステリーがすごい!』編集部のへんさんによる「5分で読める!」シリーズのために書き下ろされた。短い文字数の中で読み手に満足感を与えるには、どんでん返しを仕掛けるのがうってつけ。編集部からの要請もあったであろうが、作家自身もワクワクしながらどんでん返しを考案し、細部に至る演出を磨き上げている様子が見て取れる。「ミステリー」の看板が付いた新人賞出身である作家の、面目躍如と言える短編群だ。
 二つ目のタイプは第二編「泣きみすの鈴」に象徴される、ミステリーとしてのサプライズは控えめにし、人間ドラマを繊細かつ爆発的に描き出した短編だ。
 大正八年生まれ、今年で十二歳になる主人公のひこは郷里を出て、養蚕業を手広く営む豪農・ほん家にて住み込みで働いている。家族を助けるためにという父の頼みで奉公に出たが、いじめにも遭いしんどい毎日だ。辛いことがあると裏山のお稲荷いなりさんにやってきて、郷里を出た際に母親からもらった赤いひものついた鈴を「チリン、リン、リン」と鳴らす。その音色の心細さが、八彦の心情を如実に表している。主人公の感情を直接書かず風景にたくす、情景描写が抜群にエモーショナルだ。
 孤独にさいなまれ生きる気力を失っている八彦の心情は、蚕たちの生命力と魅力的なコントラストをなしている。〈蚕が桑の葉を食べるしゃくしゃくという音は、蚕室から離れたところにある八彦の寝室まで聞こえてきた。休みなく餌を求める蚕に、奉公人とようにんたちは、不眠不休で桑の葉を与える〉。そんな日常に、新たな音が入り込む。瞽女ごぜが奏でる三味線とうただ。瞽女とは、二、三人で組をつくり旅をする盲目の女芸人。この日やって来た三人組のうちの一人は自分よりも幼い少女で、彼女の背負っている運命を知って心が動かされ……。
 本作は小説誌「読楽」二〇一三年五月号に、大藪春彦賞受賞第一作として発表された。柚月裕子という作家の全体像をとらえるうえで、極めて重要な短編だ。私見では、長編『慈雨』(二〇一六年刊)で人間ドラマを重視するトライアルがなされ、以降はミステリーと人間ドラマの配分が作品ごとに変動するようになった──現段階でもっとも人間ドラマに配分が寄った作品は、「初の家族小説」と銘打たれた最新長編『風に立つ』(二〇二四年刊)──と捉えていたが、実はそれよりずっと前に書かれていたのだ。作家自身にとっても思い入れの深い短編であったことは、本作の執筆背景を巡り、「自然と人生」と題したエッセイを書き残していることからも明らかだ(二〇二三年刊のエッセイ集『ふたつの時間、ふたりの自分』収録)。なんと作家は、瞽女に関する資料を読み込んだ後、瞽女たちの歩いた旅路を実際に辿たどってみたのだという。そこで得た発見や感慨が、小説の中に溶かし込まれている。気になる方はぜひエッセイ集をめくってみてほしい。
 では、三つ目のタイプはどんなものか? 第十編「黙れおそ松」で示された、無茶振りにかんぺきに応えるプロ作家としての仕事だ。
 あかつかのギャグ漫画『おそ松くん』を原作に、主人公の六つ子を小学五年生から二十歳のニートに設定変更したテレビアニメ『おそ松さん』。本作は、文芸カルチャー誌「ダ・ヴィンチ」の『おそ松さん』特集のために書き下ろされた、スピンオフ小説だ。作家自身が『おそ松さん』好きを公言していたとはいえ、オファーした側も無茶だが引き受けた側も無茶。ところが、『おそ松さん』の設定を生かし切り、オリジナルギャグを連発しながら、著者らしいサプライズ満点の物語に仕上げている。
 以上のように、第一編から第十編までのアーリーワークスは、「ミステリー(どんでん返し)」「人間ドラマ」「プロ仕事」の三つのタイプに分けられる。その先で、四年数ヶ月のインターバルを置いて執筆されたのが最終第十一編「ヒーロー」だ。
 おそらく作家は自身初の独立短編集を編むにあたり、一冊を締めくくるような短編にしよう、と考えを巡らせたのではないかと思う。その結果、「ミステリー(どんでん返し)」と「人間ドラマ」が融合し、なおかつ作家にとって二枚看板の一つで新作が常に待望されている「佐方貞人」シリーズではあるものの、本線ではまず書けないような脇の登場人物を主人公にしたスピンオフ、という「プロ仕事」を実現させた。
 よねさき地検刑事部の検事・佐方貞人の仕事を補佐する、検察事務官として働くますようの物語だ。高校時代の柔道部の監督の告別式に参列したところ、柔道部仲間でありかつて自分を支えてくれた「ヒーロー」、伊達だてまさと再会する。同級生のあやを交えて飲みに行くと、伊達は大阪府警で刑事をやっていると話し出したが、徐々に違和感が生じる。一部に関してはディテールまで異様に詳しいのに、他の部分はまるでウソなのだ。何かがおかしい──。
 この一編には、アーリーワークスのみならず、多くの柚月裕子作品に通底する登場人物間のアクション=ドラマが克明に記録されている。それは、継承だ。増田が佐方貞人から受け取っていた言葉や態度が、伊達の人生に染み込み、こわばった心を溶かしていく。〈あの夜、伊達を呼び止められたのは、佐方がいたからだ。ともに仕事をし、佐方から学んだものが、増田を動かした〉。読者の内側にも、柚月裕子の作品から受け取ったものが宿っているに違いない。その経験と記憶が、人間を見る目を養い、いつか運命を動かす糧となるかもしれない。キャリア十五年にして唯一の独立短編集を締めくくる本作は、柚月文学の真髄を感じさせる一編となった。
 作家は進化し続けている。今夏には、「佐方貞人」シリーズの最新長編の連載が始まるという。次はどんな挑戦が行われるのか? 初期衝動と真髄が記録された本書を読み返しながら、楽しみに待ちたい。

作品紹介・あらすじ

チョウセンアサガオの咲く夏
著 者:柚月裕子
発売日:2024年04月25日

デビューから15年、初のオムニバス短編集
米崎地検の検事・佐方貞人の事務官をつとめる増田陽二。高校時代の柔道部の恩師の告別式で、旧友の伊達と再会した増田は、同じく同級生の木戸とその夜旧交を温める。増田にとって、伊達は柔道をやめずに済んだ恩人であり、ヒーローだった。だが、大阪で警察官になったという伊達には、ある秘密があった……。(「ヒーロー」)
〈佐方貞人〉シリーズスピンオフ作品をはじめ多ジャンル作を集めた、著者初のオムニバス短編集。

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