フラスコで再現された生命の誕生のような文章群。「やりやがって」と思わされる、清々しく書かれた小説。―『生命活動として極めて正常』レビュー【評者:柞刈湯葉】

文芸・カルチャー

公開日:2024/6/7

誰も考えなかった「if」の世界が、ここにある。
八潮久道『生命活動として極めて正常』

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八潮久道『生命活動として極めて正常』

フラスコで再現された生命の誕生のような文章群。「やりやがって」と思わされる、清々しく書かれた小説。評者:柞刈湯葉(作家)

 書きたいことだけ書いている、というのが本書を一読した素直な印象だった。これは褒め言葉でも批判でもない。何なのかと言えば嫉妬心に近い。大抵の作家は、少なくとも自分は、己の筆の勢いで物語を押し倒したい欲求と、そうはいっても読者の目があるから最小限のマナーは守らねば、という日和った規範意識を争わせながら文章を進めるので、こうも清々しく書かれた小説を見ると、良いとか悪いとか以前にまず「やりやがって」と思わされる。
 本書『生命活動として極めて正常』は7編収録の短編集で、本文は170ページほどしかない。ずいぶん短い話ばかりだと目次を一瞥するだけでわかる。よく知られているように、短編作家には光属性と闇属性がいる。光属性は最初からコンパクトにまとまった話を適切な長さで表現するが、闇属性は本来字数をかけて語られるべき物語のごく一部を切り取ってビンに詰めて世に送り出す。そんなものが市場の評価に堪えるのかと思われるかもしれないが、この世には闇属性の読者というのもずいぶん多くおり、断片から全体像を補完するのを生業としているため、彼らの間に共存関係が成立している。本書もそのようなポジションに属するものと思われる。
 1作目「バズーカ・セルミラ・ジャクショ」は、顧客をレーティングするシステムが普及した近未来、急にレートがゼロになって買い物が不可能になった主人公が、いまや災害時・非常時の決済手段といわれる現金を主体としたコミュニティに所属する話である。枠組みだけ見ると現代社会のあり方を取り扱った真面目なSFに見えるが、日本の元号が「ギミギミシェイク十五年」であったり父親が急にパパピッピになったりと異常なことが次々に起きるので「そういう話」ではないなというのがすぐにわかる。こうした異常性は最終的にちゃんとストーリーに絡んでくるのだが、思わず「あ、この要素ちゃんと絡むんだ」と言いたくなるくらいの妙な「ちゃんと」具合である。
 作中に出てくるさまざまな要素が「この物語のために用意された」という感じはあまりしない。本文にいろいろな要素を突っ込んで、偶発的な結合から秩序ある構造を形成したら、それを引っ張り出して小説と称している、フラスコで再現された生命の誕生のような文章群である。
 文章表現としてもかなりクセが強い。先述した1作目は冒頭2ページでほとんど改行もせず設定を一気に説明し、そこから「父さんは僕が十五歳になった日にそう語った」といって主人公の視点が始まる。小説講座なら「こういうことは避けるべき」と最初に教えられそうなやり方だが、お行儀のいいフォーマットに乗せる暇がないくらい忙しく展開する物語であり、となれば必然的にこの形であるべきと思えてくる。
 そんな強引に読者を振り回す文章ではあるが、作者自身が振り回されているわけではなく、この奔放なスタイルを貫き通せるだけの基礎体力の高さみたいなものは随所に感じられる。評価の高い「老ホの姫」などは登場人物が多い(そして高齢男性ばかり)が、ちゃんとキャラクターの書き分けがなされ、混乱を招かない構成になっている。
 執筆時期に幅があるせいか、物語の作り方は作品ごとにかなり違っている。特に最後の「命はダイヤより重い」は生命倫理の事務的側面という表題作と共通したテーマを扱っているが、より物語としての練度が高まっている。今後どういう作品を書くのか、恐々ながらも見てみたい作家の1人である。

作品紹介・あらすじ
『生命活動として極めて正常』八潮久道

生命活動として極めて正常
著 者:八潮久道
発売日:2024年04月24日

抱腹絶倒の後、強烈なオチが待ち構える珠玉の短編集。
「男ばかりの老人ホームで、姫として君臨するおじいさんが、全然なびかないおじいさんを落とそうとする話」、「人が死んでも、書類がどんどん発行されて出来事が流れるように処理されていく会社の景色の話」、「顧客としての人間が評価されるという未来の仕組みの闇に取り込まれた青年の話」……。誰も考えなかった「if」の世界が、ここにある。

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